キリギリスで生きる

 さて、日本国内でラテンの風に触れ、人生を変えた知人の話。

 松嶋武(敬称略)がラテンに触れたのはサルサバーだった。

「サラリーマン時代に1人で飲める店を探していたら、ラテンバーに行き着いたんです。1人で入ってサルサを踊って楽しめるんです。そのうち、ラテン流に浸かるうち、アリとキリギリスならば、人生を楽しく過ごすキリギリスのほうがいいって分かってきました」

 以前紹介した伊藤も同じようにいっている。


日本はアリの教育しかしないけど、キリギリスでも暮していけるし、子孫も残せる。

 
 そのとおり。日本人は騙されているのだ。国内外の構図を直視すると、アリの日本人が働いて、海外では、そのお金が援助、国連分担金などに使われ、国内でも、役人や政治家が自分の金とばかりにかってに使う。

 ぼくの経験でもJICAの職員に「いくら使うかがプロジェクトの評価じゃないんですか?」といわれたことがある。プロジェクトの内容はどうでもいいのだ。

 というわけで、アリになってもふんだくられるばかり。といっても、ただのキリギリスではいけない。日本だと、とたんにホームレス化してしまう。

 松嶋の場合は金融系の研究所のIT技術者として入社した後、「もっとクリエーティブな仕事をしたかったので」と、新規事業を企画する部門に異動していた。ところが、まったく新規事業が始まる兆しがない。

 アイディアは次々に出たが、すべて掛け声倒れに終わった。実行する段になると中間管理職は誰1人責任をとろうとしなかった。


日本人が子供のころから教わるのは、冒険を回避する生き方だ。  


 近代化というのは、人生のリスクを減らす方向へとベクトルが動いていくのだからしかたがないといえるが、それでも子供のころから身体的、精神的リスクを避けすぎる傾向にある。

 そのようなリスク回避の生き方に飽き足らない人間は海外に出るか、起業するわけだ。

 松嶋も煮やし、自分で事業を立ち上げたい気持ちが募った。
 
 結局、好きなサルサを仕事にしようと決め、週末に知人のラテンバーでDJを始め、業界状況を探り、2年の準備期間を経て、会社を退職、会社を起こし、銀座にラテンバー「ラス・リサス」を開業した。


会社名は「キリギリス」 


「銀座なら平日でも人が多く、ラテンバーのメッカ六本木と違って競争相手がいないので」と堅実だ。

 さて、このぼくもしばしば足を向けるので、いつか「ラス・リサス」で会おう! 


ケ・テ・バーヤ・ビエン!