仮面を剥がされたサウジアラビア ムハンマド皇太子(1)

 もともとサウジアラビアは、独裁の警察国家である。以前より、フィリピンなどから来る家事手伝いの
メイド他は、家族にパスポートをとられ、自由のない暮らしをするどころか、行方不明となることもあった。
フィリピン領事館には不明者捜索の担当官もいた。

 2014年にはサウジアラビアでは日本に先駆けて「テロとテロ資金に対する対策法」が施工されている。
もちろんそれは、テロリストの摘発だけではなく、同時に人権活動家、ジャーナリスト、ブロガ―などにも適応され、
テロと無関係な人間が監禁され、国民の口封じの手段となっている。 

 今回は、ジャマル・カショギ記者という著名なジャーナリストが、トルコイスタンブールのサウジ領事館で、生きたまま
切断され殺されるという劇的な殺害方法だったので、世界の目を惹いている。けれども 国の基層文化・政府の出自を白日の下に
曝しただけで、もともとそのような国の仮面が杜撰な手口のせいで剥がされただけである。

 以下は以前WEDGEInfinityに掲載された 
サウジアラビアイスラム開発銀行に雇われてみた」独裁の命運7
 の引用と公になる文章には、書けない訂正と加筆(青字)である。つまり、マスコミには隠されてしまう、本当に大事な
ことや、瑣末に見えるようだが、読者の関心を書きたてたり、お笑いにつながったり、あるいは物事の本質を浮かびあがらせたりすることを、今回青字で記載する。

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 サウジアラビアは、昔からの文化、社会の規範をそのまま続けてきた国だ。日本は極端に欧米化したが、石油の恵みのあるサウジは超然として宗教を軸とした君主制をつい最近までは続けてきた。そんな国の商業都市ジェッダに拠点を置くイスラム開発銀行に雇われたことがある。 

スポーツ新聞は空港で没収だ

 ジェッダのキング・アブドゥルアズィーズ国際空港では、どの国と比べても緊張した覚えがある。パスポートコントロールと税関で厳重に審査され、回りの女性たちの黒ずくめのニカーブから眼だけを晒している姿が、中東は初めてだった筆者に威圧感を与えていた。

 「女の裸の掲載された週刊誌は当然だけど、スポーツ新聞だって没収だよ。相撲の裸だって女か男かわからないっていうからね。聖地のメッカとメディナがあるから厳しい」

 そう言ったのは、筆者ら調査団を迎えてくれた商社駐在員のK氏だった。彼は大阪外語大学(2007年大阪大学に吸収)のアラビア語学科を卒業していた。外国人向けの瀟洒なプールつきのコンパウンドに単身で住んでいる。

 筆者が所属した研究所にコンタクトしてきたイスラム開発銀行は、1975年に設立され、加盟57カ国の経済・社会開発のための資金供与が主な目的である。世界銀行アジア開発銀行イスラム版だが、金融はシャリア(イスラム法)に則って無利子である。

 そこで銀行の賢い人は自身と加盟国の利益を同時にあげるうまい逃げ道を考え出した。加盟国の工業化のためにリース産業を勃興させようというのである。銀行ローンではInterest(利子)が収益となるが、リース産業ではそれをReturn(収益)と言い変えることができる。彼らは欧米よりも日本のほうが好ましいと思っていたらしく、ある商社を通して我々に話が回ってきた。

 イスラム開発銀行のカウンターパートはスーツ姿のパキスタン人の集団だった。シャリアに係る税務会計のルールは白いトーブに身を包み、頭に赤いシュマーフを被ったサウジアラビア人の会計士から仕入れることができた。銀行には礼拝場が設けられ、仕事の最中でも彼らは中座した。どこからか礼拝を呼び掛けるアザ―ンが聞こえてくる。

 最初の候補地となる調査対象国を2カ国に絞る段階では、銀行側はアフリカや中東の砂漠の国を選びたいようだったが、筆者はトルコとマレーシアとすることで押し切った。その2カ国はリース産業がすでにある程度発展していた。「イスラム金融のリース産業」の成功モデルを作る必要があるし、熱い砂漠で調査活動をする気にはなれなかった。

 歓迎の昼食会で筆者は仕事よりも知りたい質問をサウジ人に投げかけた。
「好きな女性や結婚相手の候補を選ぶのはどうするんだい。顔を見れないようだけど」
「自分の姉妹がいれば、彼女らに相手の容姿や性格を聞くんだよ」
「姉妹がいなければ、母親?」
「うーん、母親の友人の女性では年がずっと上だから、ちょっとね」
 そういって彼は笑った。

 筆者が思うにサウジアラビアでは女性よりも男性が厳しい状況に追いやられているといえる。結婚するには女性の家庭に300万円前後を支払い、結婚式の費用、家政婦、妻のための車とその運転手を用意する義務がある。女性は労働、家事労働ほかの雑事から解放され、大学で教養を身につけ、消費に勤しむことができるのだから、ある意味ユートピアである(参考 『不思議の国サウジアラビア竹下節子 文春新書)

 女性の運転解禁とは、男性の負担の軽減でもあったわけだ。

ジェッダの娯楽
 街は清潔で綺麗で近代的だった。夜にはレストランなどが煌びやかなネオンサインに彩られた。サウジ産の野菜もオマーンからの輸入ものも、乾燥した厳しい環境で育ったせいか、美味だった。子羊の脳みそなどの珍味も味わった。

 ワッハーブ派は音楽も禁止だと聞いていたが、街の土産店でアラブ音楽のCDを何枚か購入することができた。ジェッダは国際商業都市なので内陸部の首都リャドなどよりも、イスラムの戒律は緩いのだろう。

 ゴルフ場では、欧米人が真昼にプレーしていた。土漠の中なのですべてバンカーで、気温は40度を越え日射しは熱刺というのが相応しかった。車のボンネットの上で目玉焼きができるという。治安の悪い中米に長く駐在した同僚は「ここなら住んでもいい」といったが、筆者はこの凶暴な日射しに晒されて生活するのは願い下げだと思った。

 K氏のおかげで、紅海のプライベートビーチで泳ぐ機会があった。隣は女性専用ビーチで、ニカーブ姿でそのまま海に入っている女性たちが、遠目に認められた。泳ぎが下手な筆者はシュノーケルで恐る恐るリーフのそばまで行き海底を覗くと、カラフルな熱帯魚の集団が遊泳していた。沖縄、小笠原、カリブ海、南太平洋の海よりも美しかった。

 しかしその海底は何10メートルの距離があった。海辺に戻って気がついたが、シュノーケルの口を加える部分が切り裂かれていた。小心な私は怖くて歯を食いしばっていたのだ。つまりシュノーケルを噛み切った。恐るべし歯先よ。恥ずかしいので、「いやー、美しかった」とだけいって借りていたシュノーケルをK氏に戻したのだった。 
 さて、今回の殺害事件でサウジ王室は恥ずかしく思っているのだろうか。 否! へまをやらかしたと考えているだけだろう。次はうまくやると。
 つまり殺害部隊が罪に問われるとすれば、その目的ではなく、行為の方法にあるといえよう。


宗教の桎梏と都市伝説
 ゴルフや水泳はできても、映画館は禁じられていた。男女は公共バス、学校、浜辺などで隔離されていた。女性の写真を写しただけで宗教警察(勧善懲悪委員会=ムタワ)に捕まって刑務所にぶちこまれるかもしれない、とK氏に脅された。

 「フィリピン人のメイドがたくさんいるけど、行方不明になっているのも多いんだよ。家政婦のパスポートは雇い主が預かっている。で、言うことを聞かないとキリスト教を布教したとかの理由で訴えられるのさ」。フィリピン大使館には行方不明者を探すための担当官がいるという。

 870万人前後(2016年)いるインド、東南アジア、アフリカ、欧米、日本などの外人労働者は、サウジアラビア人の中では心理的に身分が区分されているようだ。2400万人前後の自国民も階層が大きく別れ、格差が大きい。日本では金満サウジなどといわれるが、カタールなどと比べて誰もが金満なのではない。

 筆者の知人は90年代後半に「掘立小屋に住んでいるあきらかに奴隷を見た」と驚いていた。サウジアラビアには、もともと奴隷階級が存在していた。公式な奴隷解放令は1962年であるが、社会慣習として奴隷がまだ存在している可能性がある。

 もちろん、お金よりも生活スタイルを守りたいという人々がいる。ジェッダの街には高層ビルのマンションがいくつかあった。ベドウィン用に建てられたものだという。「空いている部屋が多い。彼らは定着しないんだよ。移動と砂漠が好きなんだ」(K氏)

 現在の王朝サウード家は20世紀初頭にベドウィンイスラム原理主義ワッハーブ派へ改悛させ、定住させることで各部族を征服・支配下に置いてきた(イフワーン運動)。それに恭順しない部族もまだいるのだろう。

 思考の幅を広げて見ると、アメリカ合衆国の建国からの由来のひとつは西部開拓であり、西へ西へと先住民を征服しながら進出し、最後には日本と出会い、日本を征服した。それと同様に、たとえ政府が関与していなくてもサウジアラビアワッハーブ派の布教を別の国へと広げようとするのは、宗教に内在する拡張の意志と国家統一の歴史の由来から来ているといえるかもしれない。それは悪くするとテロ支援や戦争へと繋がる(続く)。