河野太郎衆議院議員は処女のように頑なだった

自民党総裁選挙。国民の人気が高い河野さん。だがぼくは彼が総裁になれば、安倍・菅政権と同様の見ざる、聞かざる、言わざるの黒塗り政治が継続されるのではないかと危惧する。

 

とりわけ「改革」「改革」と叫ぶような政治家は信頼できない。

また、改革、改革と50年ぐらい日本の政治もマスコミも叫んでいるが、その半分以上は改悪であった。

 

けれども、ただ、中身のない見てくれ、パフォーマンスが国民は大好きだ。この国民あってこの政治家としか思えないのは、残念なことだ。やはり国民以上の政治家は持てないのか?

 

そこで、10年前の河野さんとのインタビューを掲載することにする。人は10年ぐらいでは変わることができないだろう。

 

河野太郎衆議院議員は処女のように頑なだった

 「新潮45」の取材のために、衆議院議員河野太郎さんと会うことにした。取材する人間や機関はフリーハンドで著者が選ぶ。ぼくの場合、選ぶ基準は次のようなものだ。

 

  1. 自分と同じ考えを持っている
  2. まったく自分と別の考えを持っている
  3. 会うとなんだか面白そうだ
  4. 社会から苛められている。(マスコミにも見捨てられている)

 

 このときは計画停電に関する「怒れ足立区 荒川区!」の取材だった。

河野太郎さんは、反原発、反電力独占の急先鋒であり、発送電分離債務超過ならば東電解体という考えの持ち主である。

 

彼の言葉を借りてぼく自身の考えを伝えよう。それに長年、原発推進への疑念を孤独に長年叫び続けてきた河野太郎さんは、政界のガリレオガリレイ、見上げたものだ。どんな人物なのだろうか? 今はマスコミで干されていた人にこそ発言の機会を与えるべきだろう。

つまり、a.、c、dの理由からぼくは彼を取材対象者として選んだのである。

 

 会ったのはゴールデンウィークに入る前の4月末。午前中に40-50分前後。場所は衆議院第二議員会館の事務所だった。

 

 彼は15分~20分近く遅れてきた。

「すいません、ぼやがでましたから」

 自民党の本部だかどこかで火事があったというのである。

 それぐらい遅れたからといって、ぼくは「長幼の序を考えろ。君が私を待っているべきだろう!」などと誰かのようには怒らない。人ができているのだ。海外で1時間ぐらい待たされるのはよくあること。慣れてもいる。

 

 さて、今回の計画停電についてきくと、河野さんは持論をとうとうと述べる。

 

原発の新規立地は停止せざるをえない。それは政治の意思としてやる、云々~」

「需給調整をしながら、供給をすこしずつ戻し、世の中に節電を呼び掛ければ、ライフラインまでとめるようなこんな無謀な計画停電をする必要はまったくなかった。東電、経産省、政治、マスコミの責任、云々~」

「夏に向けても計画停電の必要はない。大口には受給調整契約にする、云々~」

「2050年には原発はぜんぶ廃炉になる。今のエネルギーの需要を3割とか合理的に生活の質を落とすのではなくて、きちんと下げていく。自然エネルギー100%を目指そうとそういう旗を振る。それが政治の意思だとおもいます、云々~」

 

 すべて正論である。最近は東電の事故でマスコミでもやっと河野さんの取材が解禁され、あちらこちらで、持論を述べているのだろう。それはよどみなく続く。何度も何度も同じことをいうのは大切である。原発推進派の宣伝方法でもある。そのうち頭にその言葉が刷り込まれて、知らぬ間に信じてしまう。

 

「賠償も東電が支払う。払いきれないときは、送電網を売却する。そうでなくても発送電網の分離は必要です。最終的に賠償金が支払えないときにはじめて政府が出る」

 

さて、ぼくはこのへんでくせ球を投げ始める。取材対象者に迎合していてもいい取材はできない。人物像を試したり、反対の意見を状況に応じて、投げかける。

 

 

風樹―「東電にいわせると、送電網はテロ対策で見せられない、とぼくにいうんですね。しかし変電所などすべて地図にのっているから意味がない。今回の停電でも『なぜ、東電からしか電気を買えないんだ、おかしい』という声をたくさん聞きました。でも発送電分離ってできるんですかね」

 

河野―「それは政治の意思としてやる」

 

風樹―「本当にできるんですかね? 国会が」

 

河野―「それは政治がきちんとやるんです。国民の声がどこまであるかでもある」

 

風樹「ふーん」

 ぼくは懐疑的なのだ。現実主義なのである。原発依存からの脱却も正論だ。でも、すべて自然エネルギーとか再生エネルギーにすぐに転換できるわけではない。

 こう聞いてみる。

風樹「自然エネルギーは、たとえばスペインなんか風力が10%以上だけど、日本では難しいのでは? 天然ガスのほうがいいと思いますがね」

 

 広大な砂漠の平野を持つスペインと山に覆われた日本の地理条件は違う。太陽光も広大な面積が必要となるかもしれない。無論30%ぐらいの割合の電力生産はあれこれ組み合わせれば15年後ぐらいには再生可能エネルギーで可能だろう。でも、ぼくはとりあえず、天然ガスや石炭を利用し、最先端のCO2分離技術を使うのが、より現実的だと考えている。

 

河野―「天然ガス自然エネルギーじゃないですよ」

風樹―「ええ、違いますね」

 彼は天然ガスといわれてとたんに機嫌が悪くなったように見える。

 

風樹―「日本は難しいとかいわれてますよね。風力は音がうるさい、稼働率が低いとか」

河野―「それはだれがいっているんですか?」

風樹―「よく、雑誌で書いてますよ」

河野―「化石燃料はこれから上がっていきますから。その分のお金を再生エネルギーの開発に回したほうがいい。それは政治の意思でできるんじゃないですか」

風樹―「原発についていえば、つきつめて考えれば地域開発や過疎の町村の振興の問題です。それこそが問題なのでは? 我々の支払うお金が必要もないほどの大きな体育館や立派なグランドや役所に化けている」

 彼は「?」という顔つきである。

 ぼくにいわせると、原発の問題とは、最終的には開発の問題、過疎の問題にゆきつく。受け入れる地元がなければ原発は作れないのだ。彼は神奈川県、湘南の出なので過疎などということは頭にないのかもしれない。もう一度説明しなくてはならなかった。

 

風樹―「農業も漁業も地理的制約などからさほどあてにならない。若者はいなくなる、親父は出稼ぎに出る。それならば原発でお金をもらうのがてっとりばやい。それが過疎の町や村の考えだったのでは? いまだって原発を誘致したい町はあるわけですから。ならば、何か新しいものを提示する必要があるのでは、ということです」

 

河野―「原発で、財政がよくなったという町は聞いたことがありません。それにエネルギー問題とは無関係。過疎には過疎対策がある」

風樹―「ならば、なぜこれほど原発が作られたのか」

河野―「利権でしょ」

風樹―「たとえば風力なども補助金が出るので作る。稼働率は低いという報道もありますね」

河野―「それはどこに、10年前の話では?」

風樹―「ではとこかで情報操作されているということですか?」

河野―「知らない」

風樹―「夏の電力などは、バカンス法を作れば一挙に解決されますが、そんなこという人はいないんですか?」

河野―「今の日本企業ができるわけがない」

 

 彼は反対意見や思ってもいない考えをいうと、紋切り型の言葉で終わってしまう。まったく会話が弾まない。なにか誘惑してもまったく応じない処女のように頑なである。ぼくは案外取材には長けていて、会話が弾む方だ。

 このとき、ぼくは2人の人物を思い出した。

 一人は、会ったことがないが、福島県浪江町で何十年と原発誘致に反対し続けた棚塩原発反対同盟の農民リーダである。

「おれたちは百姓だ。電力会社の人間とは話さない。話すと負けてしまう」

頑として、東北電力との話し合いに応ぜずに浪江に原発を作らせなかった。こういう一途な人は大切だ。

 

 もう一人は、某株式会社社長のORさんである。この女性はJALのスッチー出身で、人材派遣会社を運営し、エチケットなどの講習も請け負っている。

 取材にいったがまったく話が弾まない。紋切り型の答えがくるだけだった。馬鹿なのだろうと思った。

 よく調べると、この女性は小泉政権下で、政府の労働委員なども数多く歴任して「派遣労働解禁」「格差はしょうがない」「過労死も自己管理の問題」「祝日はいらない」「労働基準監督署も不要」などといっている。

 

 自ら労働者の血を吸って生きているのに、まったく恥じらいがない。なぜこんな女性が礼儀とかエチケットなど教えることができるのか、わからない。なぜ社長などになれるのか(恥がないからか)、政府の委員などにどうしてなったのか、とっても不思議だ。

 彼女は、「嫌いな人と付き合わないということですね。ぱっと見て嫌だなと思ったら付き合わない」をモットーとしているという。

 無論、河野さんが、ORさんのように馬鹿だとか品がないというのではない。

 

 だが似ている。この3人。自分と反対の意見の人、反対の考えの人間とは、話すこともしない、考えないという姿勢である。多様な意見には自らを閉じてしまうのである。

 

 原発反対同盟のリーダーならばいい。だが、河野さん政治家である。いやしくも総理を目指しているらしい。けれども、政治家としての応用力とか懐の深さのようなものは、まったく感じられなかった。

 

 30分前後の取材で、マスコミに連なる人間に、「ああ、この人はとても総理の器ではない」という印象を与えしまう。残念だった。期待に反して、河野太郎さんに政治家としての限界を強く感じた取材だったのである。

 

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