グローバルサウスで学び、旅し、働き、住んでみたー世界を潜入取材するー

カーニバルの夜に死を弄ぶ

 メキシコで忘れられないのは、その特殊な死生観である。日本とは対極にあるといっていいだろう。

 中南米のカーニバルといえば、リオのカーニバルだろうが、他にボリビアのオルーロ、トリニダード・トバゴ、そしてベラクルスのカーニバルも盛大なものである。最近知ったが阿波踊りの一団がベラクルスのカーニバルに参加したようだ。

 その中で日本人が参加したのは初めてだとあるが、それは正しくはない。少なくとも2回目なのである。40年も前に日本人の一団は拍手喝采を浴びた。浴衣姿の留学生の有志とメキシコ人(私の下宿のグロリアの親戚)がカーニバルで青森のねぶたのように飛び跳ねたのである。

 

 行進中だったか、それが終わったあとかは忘れたが、私は山車の上にいるカーニバルの女王に手招きされ、求められるままに口づけたことがあった。概して日本人男性はメキシコや他の中南米でも、もてるのだが、私の場合はその一瞬しかない。何もないよりはまだましかもしえない。彼女の唇の感触はいまだ残っている。

 

 カーニバルの思い出はそれだけではない。1990年にノーベル文学賞を受賞することになるメキシコの詩人・作家のオクタビオ・パスの書籍を読む機会が日本であった。スペイン人に征服されたことからくるメキシコ人の複雑な意識を掘り下げている本だった。『El laberinto de la soledad』(日本語訳『孤独の迷宮』)や『Posdata』の原書の一部だったと思うが、その中で、「メキシコ人は仮面をかぶっている」と「メキシコ人は生も死も弄ぶ」という趣旨が脳裏に残っていた。

 

 私の解釈では、仮面をかぶっているというのは、作家のオクタビオが仮面の下に本来のメキシコ人があるという希望的観測ではないかと思った。仮面をかぶり続けばそれがほんとうの自分になってしまうものだ。

 

 私はカーニバルに出たことだけでは飽き足らず、一人で夜中にソカロへ出向いてみた。夜中に何が起こるか知りたかったのである。メキシコに限らず観光地の酒場、ディスコなどでも外国人が去ったあとに、その国や地方の固有の文化や行動、つまり基層文化が露わになる。つまり仮面を脱ぎすてるといっていいかと思う。

 

 ソカロは市役所や教会に囲まれている広場で、カフェやレストランもあり、日中からマリンバが演奏され、土日には即席の舞台でベラクルス大学のグループが伝統の踊りを披露してくれる観光客も多く賑やかで、そぞろ歩きをする男女が出会う場所でもある。

 

 カーニバルの夜、最初はお祭り気分で男女が紙吹雪をかけあったり、マリアッチの楽団がトランペットを奏だりして楽しく平和な雰囲気に満ちていた。けれども夜中の一時を過ぎると、店は閉まり、酔っ払いが増えてくる。午前二時になると、テキーラやビールの瓶を壁やアスファルトの地面にぶつけて面白がる輩が出てくる。そのうち小競り合いがはじまる。その割れたギザギザの瓶をだれかれかまわず投げつける。私も含め100人近い男女が悲鳴をあげて右往左往する。ある意味スリルのある鬼ごっこのようだ。だがそれらの瓶が身体に当たったら大怪我をする。マリアッチの楽団も楽器を片付けて逃げ出してしまう。

 そのうち瓶を割っている人間同士が言い争いを始める。午前四時半、私の目の前で若い男がナイフに刺され血を流している。そして撃ち合いが始まった。

 

 さすがに私もソカロにいとまを告げた。下宿へと歩いている途中、救急車の音が聞こえてきた。

 なるほど「メキシコ人は生も死も弄ぶ」か‥‥。

 

 どこでも祭りには死を感じるものがあるとしても、メキシコの場合は何やら特別である。何かの犯罪を目的に人を殺すわけではない。殺すために殺す。それは他の中南米と一線を画すメキシコ人の特異な死生観だ。メキシコの音楽を聴けばよく出てくるのは、「生なんかはかない。意味がない」という歌詞だ。つきつめれば、生も死も不可分であり、どちらもたいしたものじゃない。価値がない。これはメキシコのアステカ、オルメカ、トトナカ、マヤ、サポテコなどのいずれかあるいはすべての先住民の基層に流れる意識なのかもしれない。

 

 だからこそ、こういう社会では、人々は自殺などしない(自殺率は世界最低)。日本のように切腹して責任をとるとか、生がいやになり自死するようなことはごくまれだ。生は、はかなく安っぽいものなのだから、日本と違い死ぬほどの価値がない。

 

 ベラクルスの地方新聞には、殺されたり交通事故で死んだ人の顔がつぶれたり、腕がもげたりしている無残な写真が掲載されている。それはまるで祝祭のようだ。逆説的だが、だからこそメキシコでは「死者の日」や誕生日を盛大に祝う。

 

 こうして日本とは違う他民族の特異性を知ると、自身の意識や生き方の幅が広がる。辛いことがあってもメキシコ人ならどうするかな、などと考えることができる。たとえば私の家庭では、家族の誕生日はメキシコ人のように盛大に祝うことにしている。なぜなら、生は儚いものだからである。

 

 さて、カーニバルが終わると、私の留学期間もあと三か月前後になった。留学中は、メキシコ国内をあちらこちら一人であるいは留学生仲間と旅行したものだ。この国はラテンアメリカのほぼすべてが詰まっているし、地域それぞれの先住民文化が際立っているので色彩豊か。海、歴史、ヨーロッパ風の街とそろい、唯一ないのはスキーリゾートぐらいだろう。

 中央高原は、タスコ、プエブラオアハカ、ケレタロ、サン・ミゲール・デ・アジェンデ、グアナファット、海は太平洋のアカプルコカリブ海のコスメル、イスラ・ムヘール、カンク―ン、観光地でもないシダー・デル・カルメン(クリスマスにフェルナンドの実家に招待された)、遺跡は、ユカタン半島側のチチェン・イッツァ、トゥルム、ウシュマル、パレンケ、メキシコシティテオティワカン、最も遺跡らしいのは誰も行かないベラクルス州のタヒン、またメキシコシティではいくつか演劇を鑑賞したが、ある大統領を扱った「Historia de el」などは役者の熱気に圧倒された覚えがある。

 

 その後、いくつかの国に駐在したが、学生時代と同様に土日やその国の祝祭日には国内を旅行し、駐在終了時には近隣国を訪れることにしている。

 留学期間終了とともに、私は下宿にいくつかの荷物を置いてもらい、エクアドルとペルーへと旅立った。そこでラテンアメリカの暗い落とし穴が私を待ち受けていようとは思いもよらなかった(紳士泥棒 エクアドルキト に続く)。

 

 なお、最近のメキシコ事情だが、私がいた当時と比較すると大きくかわったのは、政治とコカインカルテルだろう。私がいたころは、まるで自民党のように制度的革命党 (Partido Revolucionario Institucional、PRI)が長らく政権についていたが、現在は左翼政党民主革命党(PRD)、そして現政権の新左派政党国家再生運動(Morena)が主流となっている。これらはアメリカの新自由主義を否定する政権である。しかし、その内容には疑念がありそうだ。

 

 また中南米での麻薬カルテルはメキシコが、ベネズエラ左翼コカイン政権とともにその中心となっている。コロンビアは以前のようなカルテル戦争はない。治安的には、カルテル戦争に巻き込まれなければさほど悪くはないだろう。

ベラクルスのカーニバルで行進