アタカマ砂漠の酔っ払い

呑み助ならば誰でも経験したことがあるだろう。一瞬の陶酔と目覚めた時の幻滅、苦痛・・・ これは政治や選挙で幻想を抱き、虚構の未来を夢見る有権者にも似ているかもしれない。
もっとも陶酔と無関係の回りの人間には迷惑千番だ。いつ自身がとばっちりを受けるかもしれない。けれども世界中に酔っ払いは絶えないし、迷惑なのか時にはほほえましいのか、今回は読み手の方に判断していただこう。
チリで出会った若い酔っ払い二組のお話である。
私はアルゼンチンのサルタから約500キロのアンデス越えの道のりを14時間かかってチリ国境に到着した。4、300メートルのアンデスは雪、このアタカマ砂漠は、すでに摂氏30度に近い。
バスを降りると、強い陽射しにさらされ、軽い眩を感じる。すぐ横の頭上では、下半分が赤、上半分の右側が白、左側が白い星を填め込んだ青、という三色アイスのような配色のチリの国旗が揺らめいている。
彼方右手には、標高5,916メートルの赤褐色のLincancabur火山がボリビア国境に立ちふさがり、左手目の前にはサン・ペドロ・デ・アタカマの緑のオアシスが広がっている。
国境の関税ではバックパックの中をあれこれ調べられ、双眼鏡やカメラなど所望されやしないかとびくびくしていたが、問題なく終了し、同じバスで村に向かい、こぎたない小屋で入国手続きを終えた。
サン・ペドロ・デ・カマは、人口1,000人余りの小村であるが、周囲に数々の地下資源と観光資源を抱える重要な街である。
前述した温泉と、大塩田、アタカマ族の遺跡、月の谷、ミイラなど見どころが多いが、観光客は少ない。日本人は皆無。
Valle De Luna 月の谷

ホテルを決めて一休みしたあとで、夕方一人で、まずはアタカマ族が作ったPucara De Quitor(キト-ル砦)へと行き、砂漠に夕日が落ちる情景を楽しもうと、歩いてゆく途中の道のりで、ル-ベンとゴンサ-レスという名の2人の青年と知り合い、意気投合し、夜10時にValle De Luna(月の谷)に一緒にいく約束をする。砦はとても気にいったが、道に迷い、目的の夕日の時間に間に合わなかったので、後日再度訪れた。
ホテル・サン・ペドロで夕刻に知り合った二人に会い、ル-ベンの借りている土間とマットレスしかないぼろ屋に寄り、岩のように堅いパンをもって出発した。
チリの電話会社が出している、ガイドブックにある月の谷は、サン・ペドロから30キロもあるが、村のみんながいう谷は歩いて約8キロ。
砂漠の中を満月に照らされる奇岩を左右にみて真夜中に着く。砂に埋もれた岩山を登ると30メートル眼下に、砂漠が左右に広がり、数10キロかなたにサンペドロよりも小さなもうひとつのオアシスの街の灯が浮かんでいる。背後には、3、000k㎡の面積をもつGran Salar(大塩田)が白々と横たわっている。
時々、カラマ市からくるトラックのライトが数キロ先に見え隠れする。
アタカマ生まれのル-ベンが、「小さい頃には、何故か知らないけど、月の谷には決してつきやしないって思ってたよ。これで3度目だけど、何度来ても不思議な気持ちになる」
そういって煙草に火を点ける。足元では、満月の光を浴びて、珪酸石がちかちかと光っていた。

地酒のピスコを買ったのが始まりだ
翌日午前中広場の、木陰にあるベンチでぼう-としていると、巨漢の外人ふたりが村人にタクシーはないかと聞いている。話しかけてみると、30代のスエ-デンの山師。石油関係の仕事で巨万の富を得たという。2年にわたる世界一周の旅の途中だった。所得税が高いので、早々隠退したらしい。たまたま今朝私の宿のフロリ-タに着いたのだという。
「大塩田に行かないか?」
私は塩田に行く人数を集めていた。今のところ、ホテルで同室となったドイツ人の早起きでケチ野郎のハンス、オーストラリアから着いたばかりのジェファニ―、知り合ったチリ人二人、そして彼ら二人を入れると7人になる。一人二人ではツアーの人数に達しないのである。
けれども私はホテルのツアーは高くて無愛想なので、村でピックアップトラックをもっているサンチェス氏にル-ベンと共にかけ合い、一人につき、8ドル程、一人は荷台ということで、話がつき午後2時半に出発することになった。
サン・ペドロを出る前にチリ人のル-ベン、ゴンサ-レスと私は、スーパーマーケットで地酒のピスコをそれぞれ賈う。そのピスコが、彼等2人にこの旅を忘れえぬものさせた(続く)。


















