チリ アタカマ砂漠の酔っ払い グローバルサウスを実践する

アタカマ砂漠の酔っ払い

まるで別の惑星に着いたようなーアタカマ大塩田

 呑み助ならば誰でも経験したことがあるだろう。一瞬の陶酔と目覚めた時の幻滅、苦痛・・・ これは政治や選挙で幻想を抱き、虚構の未来を夢見る有権者にも似ているかもしれない。

 もっとも陶酔と無関係の回りの人間には迷惑千番だ。いつ自身がとばっちりを受けるかもしれない。けれども世界中に酔っ払いは絶えないし、迷惑なのか時にはほほえましいのか、今回は読み手の方に判断していただこう。

  チリで出会った若い酔っ払い二組のお話である。

 

 私はアルゼンチンのサルタから約500キロのアンデス越えの道のりを14時間かかってチリ国境に到着した。4、300メートルのアンデスは雪、このアタカマ砂漠は、すでに摂氏30度に近い。

 バスを降りると、強い陽射しにさらされ、軽い眩を感じる。すぐ横の頭上では、下半分が赤、上半分の右側が白、左側が白い星を填め込んだ青、という三色アイスのような配色のチリの国旗が揺らめいている。
 

 彼方右手には、標高5,916メートルの赤褐色のLincancabur火山がボリビア国境に立ちふさがり、左手目の前にはサン・ペドロ・デ・アタカマの緑のオアシスが広がっている。

 国境の関税ではバックパックの中をあれこれ調べられ、双眼鏡やカメラなど所望されやしないかとびくびくしていたが、問題なく終了し、同じバスで村に向かい、こぎたない小屋で入国手続きを終えた。

 

 サン・ペドロ・デ・カマは、人口1,000人余りの小村であるが、周囲に数々の地下資源と観光資源を抱える重要な街である。
 前述した温泉と、大塩田、アタカマ族の遺跡、月の谷、ミイラなど見どころが多いが、観光客は少ない。日本人は皆無。

 

Valle De Luna 月の谷

砂漠遠方を走るジープの砂煙が

 

 

 ホテルを決めて一休みしたあとで、夕方一人で、まずはアタカマ族が作ったPucara De Quitor(キト-ル砦)へと行き、砂漠に夕日が落ちる情景を楽しもうと、歩いてゆく途中の道のりで、ル-ベンとゴンサ-レスという名の2人の青年と知り合い、意気投合し、夜10時にValle De Luna(月の谷)に一緒にいく約束をする。砦はとても気にいったが、道に迷い、目的の夕日の時間に間に合わなかったので、後日再度訪れた。

 

 ホテル・サン・ペドロで夕刻に知り合った二人に会い、ル-ベンの借りている土間とマットレスしかないぼろ屋に寄り、岩のように堅いパンをもって出発した。

 チリの電話会社が出している、ガイドブックにある月の谷は、サン・ペドロから30キロもあるが、村のみんながいう谷は歩いて約8キロ。

 砂漠の中を満月に照らされる奇岩を左右にみて真夜中に着く。砂に埋もれた岩山を登ると30メートル眼下に、砂漠が左右に広がり、数10キロかなたにサンペドロよりも小さなもうひとつのオアシスの街の灯が浮かんでいる。背後には、3、000k㎡の面積をもつGran Salar(大塩田)が白々と横たわっている。
 時々、カラマ市からくるトラックのライトが数キロ先に見え隠れする。

 アタカマ生まれのル-ベンが、「小さい頃には、何故か知らないけど、月の谷には決してつきやしないって思ってたよ。これで3度目だけど、何度来ても不思議な気持ちになる」
 そういって煙草に火を点ける。足元では、満月の光を浴びて、珪酸石がちかちかと光っていた。

 

チリの若い酔っ払いだ

地酒のピスコを買ったのが始まりだ 

 翌日午前中広場の、木陰にあるベンチでぼう-としていると、巨漢の外人ふたりが村人にタクシーはないかと聞いている。話しかけてみると、30代のスエ-デンの山師。石油関係の仕事で巨万の富を得たという。2年にわたる世界一周の旅の途中だった。所得税が高いので、早々隠退したらしい。たまたま今朝私の宿のフロリ-タに着いたのだという。

「大塩田に行かないか?」

 私は塩田に行く人数を集めていた。今のところ、ホテルで同室となったドイツ人の早起きでケチ野郎のハンス、オーストラリアから着いたばかりのジェファニ―、知り合ったチリ人二人、そして彼ら二人を入れると7人になる。一人二人ではツアーの人数に達しないのである。

 

 けれども私はホテルのツアーは高くて無愛想なので、村でピックアップトラックをもっているサンチェス氏にル-ベンと共にかけ合い、一人につき、8ドル程、一人は荷台ということで、話がつき午後2時半に出発することになった。

  

 サン・ペドロを出る前にチリ人のル-ベン、ゴンサ-レスと私は、スーパーマーケットで地酒のピスコをそれぞれ賈う。そのピスコが、彼等2人にこの旅を忘れえぬものさせた(続く)。

世界温泉合戦2 グローバルサウスを実践する

世界温泉合戦2

 今回は出張中に訪れた温泉が2軒、駐在中に何度か訪れた温泉が2軒である。さあ、栄えある一位はどこだ?

 

 

1.第6位 チリ Chillanのスキー場・保養温泉 

 1993年~94年にかけて二度チリの環境を調査した。当時はまだ政府にもお金があり、環境庁関係の補助金を得たのである。そのとき、北から南までマイクロバスで縦断した。調査団は駐在中のJICAの専門家を含め5人だった。

 

 88年に訪れたときは、まだ独裁ピノチェット政権下で、サンチャゴでは憲兵隊に真夜中に自動小銃をつきつけられるなど何度か怖い目にあった。今回はせいぜいチリのサッカー場をでたときに、ファンたちとともに、催涙ガスを警察の特殊車両からかけられただけだった。

 小銃に囲まれし日々いまはなく民主の光燦燦と降れ

 

 その時は思いがけなくもアンデスを滑降する機会に恵まれた。私は北海道出身なので幼少からスキーに親しんでいて、昔取った杵柄でスイスイと滑ることができた。蔵王を数年前に滑ったのを思い出した。

 

 その後足腰が痛くなって温泉に浸かる。でも露天風呂ではなく、室内の温泉、それも家庭にあるようなタブに浸かるだけである。風流も何もない。

 スキー場がそばにあるという立地の良さから最下位は免れた。またこの街は美人の多い街であることを言い添えておこう。

 

2.第4位 ベネズエラ トリンチェーラ

 2008年~13年にかけてベネズエラの二つの近所にあるプラントプロジェクトのためにバレンシアで生活した。行きかえりの途上の山間に温泉があった。仕事帰りに風呂浴びるような感覚で同僚とともに10回以上は訪れたであろう。周囲に宿やレストランがあり、風呂上りには、ビールを飲んでアソパード(海産物のスープ)を注文するという楽しみができた。

 

 温度の違う広い湯船(プール)が二つ、肌のためとうたう泥の温泉がひとつ、アロマセラピーを使ったマッサージもある。また、硫黄分の含んだ気体を身体に吹きかけるための機会があり、なかにはそれを吸っている人が… 本当に身体にいいのだろうか? とはいえここには 19世紀初頭に探検家アレクサンダー・フォン・フンボルトが研究のために訪れた由緒のある温泉である。 

 

 お湯はかなり熱く、私もプールの中ほどまでは行く気にならない。仕事仲間のベネズエラ人は、温泉は初めてだからか、あっという間に気分が悪くなった。

 土曜などにいくと、超満員で、昼に入ったときは藻とともにお湯がぬるぬると薄気味悪く、太陽光線は強く、なにやら眩暈がしてきた。

 

 夜、それはそれは幻想的なのだ。ちょうど満月。人はさすがに疎ら。お湯はぬるぬるせずに、暗いので薄汚さも気にならない。時々、温泉から少し離れてある、高速道路を走る大型トラックの音が響く。お湯は熱く、仕事で疲れた体から、ゆっくりと何かが抜けていく。

 早朝もいい。とまっている宿から10分ほど歩いて、温泉に行く。朝の8時。泥風呂の周りには、放し飼いにされた猿が、客が残した食い物をつつきにくる。

 この温泉は一位でもおかしくないのだが、設備が整い過ぎているし湯舟がプールなので、野趣が少なく後塵を拝した。

 

第一位 ベネズエラ モーゼの泉

 

 ベネズエラのスクレ州にある比較的新しい温泉である。正確にいうと冷泉といってもいいかもしれない。さほど熱くはない新しい温泉である。公開されたのは1990年代。もともと土地所有者は牧場にする予定だった。ところが喉を乾かせた馬たちが地面から湧き出る水を飲んでいることに気が付いた。それが温泉の始まりである。私が訪れたのは、2014年~16年にかけてのこと。

 

 この温泉はいくつも泉があり、どれもこれもこの世のものとは思われないほどの美しさである。またここの泥は美肌効果があるというので、女性に人気である。皮膚に良い薬用成分の硫黄、ケイ素、マグネシウムカリウムが入っているという。

 

 

 さらに泉の横には(カチャマ)と呼ばれる魚といっしょに泳げる池がある。魚は白身で美味だ。

 ただ私の住んでいたアンソアテギ州のレチェリアからは180キロほどで運がよければ3時間前後で到着する。けれども始終、抗議デモの道路封鎖や道路陥没、自動車事故などもろもろあり、へたをすると10時間近くかかることがある。温度もやや低い。それらマイナス要因を考慮しても、風景の美しさは出色なので、一位とした。

 

 なお、モーゼの泉が公開される前の1979年に、大自然の美しさから海洋探検家のジャック=イヴ・クストー(Jacques-Yves Cousteau)が訪れている。以前は研究家などが訪れることができるほど、ベネズエラは平和で安全だったということである。

 

第7位 フィリピンの韓国温泉

  2018年の夏に訪れたのが韓国人経営の88 Hotspring Resortである。当時、途上国に対する対テロ対策援助で、フィリピン警察に防弾ヘルメット、防爆服、防弾着などの無償援助に関わっていた。30年ぶりに訪れたフィリピンは以前の最悪(ベネズエラと同じ)と比べて安全で警察も信頼に値した。大統領は欧米のマスコミを中心に非難されていたドゥエルテ大統領である。彼の功績は偉大だった。今となっては、私やフィリピンの友人すべてが危惧したように治安が悪化し、日本人のラーメン屋や旅行者が被害にあうようになってしまった。残念だ。

 その日マニラで会議を持った私と同僚は、午後に時間があまったので、適当に地図を見て温泉を探り当てたのである。

 地名は、ラグナ州のロスバニョス(Los Baños)。スペイン語でトイレ、風呂、温泉などの意味である。その近くにはCarambaという地名も。これもスペイン語で、驚いたという意味である。

 しかしこれらの意味は今は英語圏となっているフィリピン人にはわからないのである。

 

 さて、温泉はプール温泉でもうひとつ趣がない。韓国人の団体客が食堂ではカラオケを大合唱している。マニラから近いのでひと風呂浴びるという意味では、お手軽な温泉ではある。

 

 さらに、ここから足を延ばすと、タガイタイという高度の高い山間の町があり、避暑地となっている。風光明媚なので訪れる価値がある。途上、ベッサメムーチョなどメキシコ音楽を楽しめるレストランもある。

衆議院選挙で問われているのは国民だ! 政界再編第3ステージへ

衆議院選挙で問われているのは国民だ! 政界再編第3ステージへ

デマゴーグはいつもどこでも感動的だ

 

 高市人気のおかげで、自民党単独過半数の可能性をテレビや新聞では報じている。本当だろうか? 本当ならば何を意味しているのだろうか? 逆に週刊誌では、自民党の苦戦を予測している。どちらが正しいのか? マスコミも結果が問われる。

 

1.歌い、踊り、涙する政治家は怪しいが人気が出る 

 ベネズエラチャベスマドゥロアメリカのトランプは歌い、踊る政治家である。高市もこの中に連なる。それは政治家よりもむしろタレントに近くーもっとも政治家にタレント性は必要なのだろうがー中身はないか、あるいは本心を隠している。そして客寄せパンダのように群衆が集まる。演説を聴いていると、一瞬の幻想を見ることができる。けれどもその後、賛成票を投じた人々と国家に災厄が襲い掛かる。

 人気のあった小泉父・竹中平蔵政権は? 今のベネズエラアメリカは? かつてのヒトラー下のドイツは? みな歴史を振り返ればデマゴーグと呼ばれる災厄の人々である。

 

2一か八かの博打師高市は将来を過つ

 高市は冬場の選挙だろうが、人気のあるうちに、そして統一教会とのずぶずぶの関係や中国との諍いで失われる経済的利益を国会で追及されないうちにと選挙に打って出た。けれども公明党が離れたときのように、公明党立憲民主党=中道ができてしまった。

 

 そんなことは想像だにしていなかったようだ。将来を予測はいくつかのシミュレーションがあってしかるべきだが、自身のかたくな考えに縛られている政治家は危険である。とりわけ安全保証の面ではとんでもない災厄を招く可能性がある。東条英機がバクチを売ったことを思い出す。

 

3.スパイ防止法

 スパイ防止法を制定するのだという。なるほどその法案はもしかしたら必用かもしれない。しかし高市一派が行うとはまさに語るに落ちる。

 高市や萩生田は統一教会とずぶずぶである。選挙における利益供与のために(金だけではなく票と労働)、韓国に本部のある教会に密接な関係を持った。そして信者となった日本人を不孝に陥れた。これって外国勢力に寄り添って日本国民を棄損するのだから、スパイそのものである。スパイの罪は重い。極刑か無期になってもおかしくはない。

 

 ところで文春の追求が厳しく、他の政党は党首が出ているテレビ討論会に高市は怪我をしたという胡散臭い理由で出席できなくなったようだ。こういう政治家の信者が増えた国はなかば滅びる。

 

4.中道は人気が出ないが、小選挙区では自民党をかなり駆逐するだろう。

 中道は残念ながら、昔の顔であり新鮮さが足りない。おじさん政治に飽き飽きしたからこそ高市に人気があるのだ。とはいえ、宗教政党の覚悟を決めたときの集票力はすさまじく、公明票が自民に流れるのは微々たるものだろう。

 

5.中国問題こそが票につながる高市

 私は以前、安倍政権が大勝したときに出口調査のバイトをおこなった。そのときは北朝鮮がミサイルを打ち上げれば打ち上げるほど、安倍の人気は高まり票になった。世代により反応の違いは顕著だった。ミサイルに最も反応し安倍に投票したのは20代、選挙対策と知っている60代、70代は反安倍であった。今回も高市はそれを知り、できるだけ中国に騒ぎたててもらいたいのだろう。

 

 すなわち、反中国による集票→周辺の安全保障環境が劣化(中国の戦狼外交)→一層の反中国による右傾化→防衛費増大→憲法改正→核開発へ

 

6.株価と重要セクター17

 高市政権は安倍政権同様、株価至上主義である。17もの重点セクターあげ、かつ海底レアメタルの重要性を強調している。レアメタル採掘にかかわる東洋エンジニアは勤務しやすく好きな企業文化で株価はうなぎ上りとなった。残念ながら空虚なお祭りである。しかし株価は上がる。噂で買い事実で売れ、の格言通りとなるだろう。

 したがって、証券会社やそれに連なる企業、軍事や安全保障にかかわる企業、そして株を持つ個人には待望の政権となる。でも忘れてならないのは、国の補助金などはすべて国民の税金だからね。

 

7.日経新聞は反高市

 日経はこのところ高市の経済政策に警鐘を鳴らしている。以前、小泉父+竹中平蔵新自由主義を礼賛していたときは大きく違う。積極財政には金利の上昇、インフレが伴い、国の利払いが膨らみ、トラスショックの二の舞になる可能性をほのめかしている。

 さらに防衛費を上げるには赤字国債の発行か増税が待つ。とりわけ戦争・防衛と赤字国債の関連は密接である。政府財政は破綻の危険があると仄めかしている。

 

 今回も出口調査のバイトに申し込もうと思ったが、寒いし年令からバイトも受からない可能性が高いので止めました。ここしばらくは日本の将来を占う選挙と政界再編が起こるので、温泉合戦2は次回に回したしだいです。

 

 なお世界も日本もあまりに右に寄りすぎているので、危険回避の意味で私は中道に投票する予定です。 

 

世界温泉合戦ーグローバルサウスを実践する

世界温泉合戦

アマゾンでも水着は必需品か。姉妹の一人はスペインへ。



 さて、世界温泉合戦である。

 

 出場するのは、ペルーのアグアス・カリエンテス(マチュピチュ)、ボリビアのジャングルの尻焼き温泉、チリのアタカマの間欠泉とスキー場保養所温泉、ベネズエラの保養所プール温泉トリンチェーラとモーゼの泉、そしてフィリピンの韓国アグアス・カリエンテス ―さあ、どこが一番だ?

 

 といってもヨーロッパ諸国、アメリカ、中国など温泉のある国は抜けているし、日本は別格なので入れていない。私が実際に浸かった温泉の私の主観からの順位だが、時系列に報告する。

第3位 ペルー アグカスカリエンテス

 最初に海外で温泉に入ったのは、ペルーのアグアス・カリエンテスだった。1979年の夏だ。今はその地名はなくこの村はマチュピッチュに併合されている。私にとってはマチュピッチュでは遭難寸前のバカ登山を行い、いい思い出はさほどない。むしろ温泉のほうがいい思い出にはいる。今はプールのようになってしまったのだが。

 

 当時ホテルなどという立派なものはなく木造の宿屋が確か2,3軒あっただけ。温泉にはバックパッカーの間でうんこが浮いているなどという噂が流布されていた。それが人間のものなのか犬ものなのか猫のものなのか他の獣なの確認したものがいない。

 

 日が暮れたあとに宿の家族や使用人に誘われて、主人が照らす懐中電灯の光を頼りに隘路を数分歩いた。そこは回りの一部をコンクリートで固めている温泉のようだ。

 

 海外なので衣服の下にはみな水着を着ていた。だが私と若い使用人はそんなものを持っていない。その青年が「どうしようか。水着ないんだよ」とおどおどして私に話しかけてくる。宿主の家族の中には、10代の可愛い女性もいた。

「だいじょうぶ、夜だよ。ぼくらの粗チンなんか誰も関心ないさ」

 

 その夜は曇っていて月も出ていなかった。はっきり覚えていないが、蛍が舞っていた記憶がある。暗いのでお湯の中も周囲も見ることができない。うんこが浮いていようがいまいが、異物に触れない限り問題はなかった。温泉はやや温い感じだった。ぼそぼそと話す家族の会話に時折笑いが湧いた。

 

 翌早朝、ひとりで行ってみると、数メートル四方の温泉のお湯はきれいなもの、わずかな草木の破片が浮いているぐらいである。前方は草木に覆われた切り立ったアンデスの山、そして手に届くほどの距離に雲とも霧ともいえる白い気体がたなびき、どこからともなく、鳥の声が聞こえてくる。山紫水明な山水画にワープしたかのようである。

 現在は瀟洒なホテルがいくつもあり、温泉も野趣がなくプールのようになっている。宿泊費も超高い。当時はせいぜい600円ぐらいだったと思うが。

 

第2位 アマゾンの尻焼き温泉

同僚や日系人とともに、昼はアルマジロの蒸し焼きだ



 1986年~88年にかけて何度か行ったジャングルの中の温泉である。ここは3位のマチュピチュよりもずっと野趣が強い。私が2年ほど滞在していたチョチス村から鉄道やモーターカーで一時間ほどのところである。付近に火山もないし海もない。幾分遠方に小高い岡の連なりが見えるとはいえ、温泉は平原の中にあるので、何か解せない。調べてみると、地質に割目があり、「地球の深部の熱」が吹きあがってくる州類の温泉だった。

 

 アグアス・カリエンテス(=温泉の意味)駅から歩いてすぐの密林の中に開けた温泉である。川そのものが温泉なのである。日本にも群馬県に川の温泉、尻焼き温泉があるが、その広大さは比ではない。周囲は数キロにわたりそこから湯気が熱帯雨林の中にぶくぶくぶくぶく湧き上がり、どこからともなくジャガーや、アルマジロや、虫たちのさざめきが潮騒のように聞こえてきた。ここには何度か足を向けた。職場の日系人や日本人とあるいは村人や少女たちを伴って入った。

 

 池のところどころにお湯がぶくぶく涌き出ている。その噴出口から離れると、温度はやや温い。小魚も泳いでいる。中央部は深く、まれに足が立たないところもある。

「いやー、ほんとに気持ちいいね」

 もぐったり、小魚をとったり、童心に戻って遊ぶ。椰子の高木、熱帯林、小雨・・・ まるで、生まれたばかりの世界で、生まれたばかりの人間になったような気がする。

 

 ここを訪れる人間は当時はさほどいなかったが、現在はホテル、キャンプ場などもあるようだ。だがペルーのアグアス・カリエンテスのような大観光地とはまだなっていない。以前は宿泊ができなかったのだから、一泊してジャングルの夜と朝を味わいながら温泉に入ることができるだろう。

 

第5位 アンデスPuritamaの露天風呂

アタカマの塩田はウユニにひけをとらない

 アマゾンの仕事が終了したあとで、アルゼンチンの山越えの後にチリのアタカマ砂漠のオアシスに数日腰を落ち着けた。そのときTatioの間欠泉を見学したあとで早朝に入ったのが、標高約3,500mの渓谷にある小さな温泉だ。周囲は草木のない荒れた山、温度は35度と低く、外へ出るとたちまち冷気が躯を震わせるので、自然長湯になる。

 

 同行したのはスペイン人夫婦、オーストラリアの若い女性、同宿のドイツ人だった。スペイン人のだんなは4000mを超えるタティオで気分が悪くなったようだが、Puritama温泉に入って具合がよくなった。ただこの温泉はまったくむき出しの岩場にあり、浸かっていると海パンを吐いていてもお尻が痛くなる。しかも狭い。もうひとつのんびりできないのである。(今はボードウォークもでき温泉じたいも拡張されているようだ)

 

 ただし、日本ではあまり知られていないが、アタカマとその周辺には訪れる場所が多いーグランサラール(=大塩田)(千葉県と同じほどの大きさ),月の谷、アタカマ遺跡、ミイラ博物館などなど。機会があればいつか紹介してみよう。

 さて一位はどこだろうか(続く)

 

ボリビア画家列伝2 公開しました。Maclovioの凄まじい作品をご覧ください。棍棒外交の今の時代に蘇る名作です。

 

 

 

それでも私が海外に行く理由―闇の中の眩い光

チリのアタカマ砂漠の塩田 チリ人、ドイツ人、スウェーデン人、アメリカ人と

 刑務所の話を書こうと思っていたが、明るい話題にすることにした。年初ですしね。

なぜ若者も海外に行かないのか

 最近は若者も海外に出ないし、以前と比べると、あまり他国に関心もない。理由は多々あるだろう。テレビや出版界などで長年「日本最高!」というキャンペインのような番組が流されたり、そんなテーマの書籍が販売されてきた。コロナや円安も影響しているだろう。新聞やテレビなども金がないのでどんどん海外支店や特派員の数を減らしている(でも、日本企業が大きな利益を得るのは海外である)。

 私が海外にかかわる話をすると、男女年齢の別なく必ず聞かれることがある。

 

「危ない目に遭わなかったですか」

 

 多分、これが一番の理由だろう。日本は安全、海外は危険。犯罪にあったり独裁政治のとばっちりにあうかもしれない。外務省もいつも警告している。つまり人災への恐怖である。ある意味それは正しいように見えるが、日本は日本で世界有数の自然災害大国である。

 

これが日本の若者の現状か?

 カタールワールドカップで気が付いたが、日本の若者の多くは携帯の中に閉じこもっていた。回りの他者と話さない。一方、中近東やアジアの若者はコミ力や技術力があった。エジプトの青年、パキスタンの青年、バングラデシュの日本への留学生たちー 私は彼らの何人かに困難を救ってもらったが、一方日本の若者には迷惑をかけられていた。

 すなわち、欧州にいる三苫などの日本のサッカー選手、アメリカ大リーグにいる大谷など野球選手は、まさにグローバルな存在だが、他の若者はまったく違う。ボリューム層は内向きでコミ障のような存在ではなかろうか。自分が他国に出たことがなく、SNSに閉じこもっていたならば、多様性も知らず寛容性も培うことができない。 そして世界の中の日本の位置も錯覚する。(たとえばかつての鬼畜米英は今では反中に移行している)

 いったいそのような人々ばかりになった日本はどうなってしまうのだろうか?

 

海外は楽しい

アンデス4300mの間欠泉El Tatio ここにも露天風呂が

 翻ってみると、最近は海外の紛争や事件や経済的困難を中心に書いてきた。それは読者が他者の幸福よりも不幸を読みたがるからなのだが、けれども紛争やテロはほんの一部分で、海外の別の側面には光があてられていない。

 とりわけグローバルサウスなどの紛争地は、闇があるからこそ、日本では味わえない楽しいことも多い。

 食事、人、大自然、音楽、踊り、祝祭、仕事、美術・・・ 独裁下で極端に治安が悪いベネズエラでさえ、もちろんいいところはたくさんある。

 

 そこで時折、そのような楽しいことを書くことにした。

 さて、第一回は、世界の温泉合戦から始めよう。続く

なぜキューバ兵が32人も死なねばならなかったのか?

なぜキューバ兵が32人も死なねばならなかったのか?

マイアミのリトルハバナキューバには諜報大国という別の顔が

 米軍との戦いでベネズエラ兵の死者は24人だという。なぜキューバ兵の方が死者が多いのか? その説明をしているマスコミは少ないようなのでここに記しておく。

 

 大統領を直接守っていたのはベネズエラ兵ではなく、キューバ兵である。ベネズエラ兵は基地のどこか他の場所にいて殺害されたのだろう。

 なにかおかしくないか? 

 いくら日本が米国の植民地のようであるとはいえ、さすがに首相官邸や首相自身もアメリカのシークレットサービスアメリカ兵に守られているわけではない。もし、そうならば大変な論争になるどころか政権は崩壊するかもしれない。

 ベネズエラではなぜそうはならないのか?

 

こうしてチャベスキューバ兵を頼った

 2002年にチャベスは死の瀬戸際にあった。社会主義を嫌う財界や軍がクーデターを起こし、彼をカラカスの北方沖(約160km)のLa Orchila(ラ・オルチラ島)に幽門したのである。

 命を救ったのはキューバカストロだった。ベネズエラ軍の選択肢は「国外追放」「裁判」「処刑」のどれかで論争が続いていた。意見は分かれていた。カストロは秘密回線を使い、軍や政府に告げた。

「かれを生かして返せ」

 こうしてチャベスは復活した。

 

 なぜカストロの一言ぐらいで? 

 ここは日本人には理解できないところだが、カストロ中南米では信じられないぐらいの威厳があった。何十年とアメリカと対峙して生き残ってきたのだから。伝説的存在である。

 チャベスは軍に一度捕らえられて後、カストロに恩義を感じた。自国の軍を信じられなくなった。大統領官邸はキューバ兵(G2= 国家情報機関)により守られるようになった。さらに大事なのは、料理人、医療グループキューバ人なのだ。

 

 ソ連が崩壊したあとで、老獪なカストロが見出したのは近所のベネズエラだった。彼は部類の女好きのチャベスに知り合いだったキャンベルナオミさえ紹介している。

 

 キューバはこうしてベネズエラの諜報や政治に強い影響力を持つようになった。ベネズエラは石油を無償あるいは準無償でキューバに送った。キューバは残余を再輸出して利益を得た。また医者などの人材をベネズエラに送った。

 けれども、共産主義者とは言い難いチャベス原油価格が落ちたときに、自国の利益のためにいった(私もベネズエラでテレビで見た)。

キューバにも原油を市場価格で輸出してもいいだろう」

 その後、彼は癌になり凄まじい速さで重体化して死去した。

 

マドゥロはもともとキューバのエージェントだった。

私の定宿のクンボートホテルもキューバ人に貸切られてしまった

 チャベスが死去する前に、権力を誰に引き継がせるかが問題となった。

悪の権化の犯罪主義者のディオサード・カベ―ジョが大統領につくと多くのベネズエラ人たちは推測していた。ところが、さほど知名度があるわけではないマドゥーロだったのである。なぜか?

 キューバカストロの強い意向が働いたからであった。

 

 マドゥロキューバ共産党幹部学校(通称ニコ・ロペス学校)で、革命思想と組織運営、権力掌握、破壊工作の方法を学んでいる。カストロにとってチャベスよりもずっと操りやすい人間だった。マドゥロキューバのエージェントである。

 

 当然、大統領官邸の守りはキューバG2のままとなる。情報網を駆使する方法や国民の弾圧、刑務所の在り方もキューバ方式に乗っ取っている。反政府運動が激化したときには、キューバ兵(G2)が送られ、ベネズエラ市民の弾圧に加担している。つまり、マドゥロは国家反逆罪なのだ。本来べネズラ国民の手で裁判に処せられなければならない。

 なお、私が定宿にしていたプエルトカベ―ジョのクンボートホテルは、いつの間にか長期滞在のキューバ人たちでほぼ貸切られてしまっていた。もともとアメリカ人の建築家が設計したホテルなのである。 

 

今後のベネズエラ デルシー・ロドリーゲスvsディサード・カベ―ジョ?

ベネズエラの未来は五里霧中だ

 したがって今回のマドゥロ捕獲劇で最大の敗北者は中国でもロシアでもなくキューバである。この戦いはアメリカCIA VS キューバG2の諜報戦でもあった。完敗したキューバカストロなきあと、中南米でも権威が失墜し、国内では国民の反発もあり、力が落ちているのかもしれない。ベネズエラ以上に停電も頻繁である。

 

 今後、ベネズエラとの関係はどうなるのだろうか?     。

 

 コカインカルテルと犯罪組織を牛耳るDiosado Cabello、そして軍を掌握するPadrino Lopesが親キューバ共産主義者だとは聞いたことはない。

 

 けれども大統領のデルシー・ロドリゲスは別だ。父親は武装闘争派のばりばりの左翼で、国家治安機関に拘束され、拷問死している。彼女は政府の要職に、とりわけ副大統領になって以来、キューバを何度も訪れ、その影響下にある。

 

 今は保身のためにトランプの言いなりになっているようだが、振りだけかもしれない。もともとチャベスが死去したとき、マドゥロとカベ―ジョは利権を分け合った。マドゥロは石油利権をカベ―ジョはコカインと犯罪利権を得た。だからマドゥロを引き継ぐデルシーは石油利権側なので、コレクティーボ(オートバイ・マシンガンの犯罪自警団)や民兵を掌握していない。

 今後、ベネズエラは第二幕が開かれるかもしれない。すでに大統領官邸周辺にはにはドローンが飛び、銃声が聞こえるという。チャビスタ以外の多くの市民にとっては恐怖以外の何物でもない。

 一度犯罪立国された国の運命は五里霧中だ。

職場で祝ってくれたベネズラの同僚たち

 10数年前の楽しい誕生会はいつ戻るのだろうか?

 

 次回はベネズエラの3つの刑務所の予定です。

 

私がそれでもマドゥーロの捕獲に祝杯を上げる理由

ベネズエラの真実

カリブ海に登る虹となるのか

 赴任地のベネズエラを離れて早や10年弱になる。仕事の途中で国を離れたのは、ベネズエラ経済がますます悪化し、石油関連のプロジェクトに対する支払いが不能となったからである。治安の悪化もある。大学で、映画観で、路上で、バスや地下鉄の中で、海辺で、人々は盗み盗まれた。略奪も常態化した。事務所の子供が生まれたばかりの若い会計士も勇んで参加した。価値は転換された。コカイン犯罪政府なので、犯罪に関わらないものは犯罪者として摘発された。

 

 善意の人々は家、車他家財道具を二束三文で売り払い、国外へ逃げた。英語ができそれなりに裕福な人はアメリカへ、あるいはスペイン語のスペインへ、近場ではコロンビアやエクアドルへ、知力のあるものはチリへ、その数は900万人に・・・

 そのうち私と親しかった同僚だったり、取材の手助けをしてくれていた女性や男性について述べよう。

 

ディアスポラの人々

ミスユニバースを夢見ていた娘たちは、今どこに

 

 クラウディア: 子どものころに、パブロエスコバル盛んなころのコロンビアから家族とともに平和で裕福なベネズエラへと逃げた。国籍はコロンビア人。港関係の仕事についていたが、貿易がすたり、港は軍に接収され、コカイン積出港であることもあり、仕事もなく、コロンビアへと帰国。このようなコロンビア人も何十万人とる。国に翻弄される人々である。

 

 カルロ―タ:名門の大学に入学し、法律を学んで弁護士の資格も取ったが、犯罪立国では法律などなんの足しにもならず、地元で屋台をやったりしていたが、最終的に幼子とともにチリへ移住。両親はコロンビアへ。叔母が独りベネズエラに残ったが、生きるにつらく、後にチリへ呼び寄せた。しかし心労からまもなく癌に罹患し死去。

 

 また私の同僚は、コロンビアやエクアドルへ行ってみたが、よい仕事につけずにベネズエラに戻っているが、職は見つからない。PDVSA(石油公社 ベネズエラ一の大企業)の同僚も全員雲散霧消してしまっている。彼らは一様に「今の政府の人間はみな縛り首にしても足りない」と嘆いていた。

 

 もっとも悲惨だったのは、5か国語が話せるエリカである。彼女はPDVSAで安全管理などの仕事についていたが、それは秘密やよからぬ企みを知る部署である。基本、原油輸出も量をごまかしたり、あるいはプロジェクトにかかわる行政の長が請け負い企業に車をおねだりしたり、すべてが腐敗していた。

 彼女は嫌気がさし、2週間後にエストニアに移民すると私に告げていた。職場のエレべーターで彼女の夫とともに会ったのが最後だった。

 てっきり国を去ったと思っていたが、その後彼女の記事が地方紙を賑わした。行方不明であったエリカとその夫はクマナ(以前トヨタの大工場があった)の土の中から発見されたのである。遺体は地中深くでセメントに固められていた。

 

 まもなく私も国を出た。その後、この犯罪政府が倒れるのをずっと願ってきた。20代のとき私はベネズエラにオーディオを輸出していたが、そのときは中南米一裕福で民主的で安全な国家だったのである。カラカスのチャカオでは日曜の朝ともなれば路上のテーブルで人々が裕福にドミノに興じてきた。それが私の知るベネズエラだった。

 

 2017年の国民の隆起、2019年のクーデター未遂、いずれもマドゥーロ政権は市民を殺し弾圧し、軍は自己保身に終始した。アメリカトランプ第一次政権は口先だけで何もできなかった。

 今回の第二政権は、もともとトランプは法外であることで人気のあるファシストなのだから、海外政府や国内の批判など気にしないのだろう。さらに彼はベネズエラとは付き合いが長く、その国の人となりを知っているし、チャベス独裁から政治的手法を学んでいる。つまり悪VS悪なのだが、トランプのほうがベネズエラにとってまだましといえるだろう。

 多くのベネズエラ人は歓喜の声をあげている。 

 

今後の展開

私が働いていた港からもコカインが



 チャビスタの中核はまだ残っている。とりわけ真のコカインマフィアのトップであるDiosado Cabelloと親族に諭されても国民を裏切り続ける軍のトップ Padrino Lopesの二名を収監する必要がある。

 コカイン輸送船の破壊、原油タンカー拿捕で、政府やコカインカルテルの資金源を細め、軍への優遇ができなくなっている。今回の作戦も内通者がいたことをうかがわせる。

 また日本ではこれまで報道されかったが、大統領を守っているのはキューバ兵だったことが明らかにされた。チャベス(後期)もマドゥーロも実はキューバの傀儡だったのである。ベネズエラキューバに長らくしゃぶりつくされてきた。

キューバの標語のモノマネ。社会主義かさもなければ死を、勝利まで



キューバ人はベネズエラ人以上にベネズエラ人だ」

 

 そういっていた同僚の声が思い出されるとともに、冥界にいるエリカとその夫、さらにこれらの政権に殺されたり、刑務所に収監され続けてきたベネズエラ人に対しても祝杯をあげたい。

 まだ先は長いかもしれないが・・・ Salud !