いつのまにか、若い二人の男がきている。
研修医だろう。
「お医者さんはいつくるの?」
「そのうちくるよ」
腕時計を見ると、もう12時を過ぎている。
「ごはんを食べに出たいんだけど」
「昼ごはんは出るよ。じゃあ、ちょっと治療をしようか」
ぼくは機器の前に座らされ、あの、セルロイドのふたを鼻にして、すーすー酸素か何かを吸うものをつける。日本でも、よくあるあれだ。いったい何を吸うのかわからないがよくやるやつである。
それにしてもなんだかわからずにすっていていいのだろうか?
ぼくの脳裏には、Torincheraなる温泉で、硫黄入りの気体をすーすーすーすーと吸っているベネズエラ人の姿が浮かんでくる。
気休めだ。
だが、寒さに震えて何もしないでいるよりは、気がまぎれる。
数分で、呼吸吸入が終わる。
そしてまた手持ちぶたさに、すわったまま待っている。今度は待っているものが決まっているので、不安感が少ない。
高熱の中で食べられるかどうかわからない飯だ。どうせ豆と肉に違いない。どうしてベネズエラはこれほど食文化が貧弱なのか。
ぼくは、偉大なカリスマフードアナリスト(ニフティのページでレストランを採点できる)なのに.、ああ、いつも2.5点の食事ばかりとは、神はこのぼくに拷問のような試練を与えて、試しているのだろうか?
それにしても寒い。寒気がする。この冷房どうにかならないか。ベッドで寝転がっている二人の女性もジャンバーを着ている。
厚手の上着を持ってくるべきであった。
ぼくは北海道旭川市の生まれなので、零下25度前後でもへっちゃらで遊びまわっていたが、この高熱ではいかんともしがたい。
さて、ほんとうに飯がきた。
そしてふたを開けてみると、やっぱ予想とおりの豆と肉。うーん、あきあきしたぜ、お豆ちゃんと牛肉。おれは今は一般人。
上野でホームレスをやっていたときならば、あふあふと餓鬼のように食べたであろうが、今は仕事がある身(ほんの一瞬だが)、まともなものが食べたーい。
それでも、栄養をとらねばという焦燥感、義務感から半分ほど食べ、あとは残した。
結局、これがぼくの当分の間、最後の食事になろうとは思いもよらなかったのだが。