単身赴任で熱帯病 2

 いつのまにか、若い二人の男がきている。
 研修医だろう。

 「お医者さんはいつくるの?」
 「そのうちくるよ」
  腕時計を見ると、もう12時を過ぎている。

 「ごはんを食べに出たいんだけど」
 「昼ごはんは出るよ。じゃあ、ちょっと治療をしようか」

  ぼくは機器の前に座らされ、あの、セルロイドのふたを鼻にして、すーすー酸素か何かを吸うものをつける。日本でも、よくあるあれだ。いったい何を吸うのかわからないがよくやるやつである。
 それにしてもなんだかわからずにすっていていいのだろうか?
 ぼくの脳裏には、Torincheraなる温泉で、硫黄入りの気体をすーすーすーすーと吸っているベネズエラ人の姿が浮かんでくる。

 気休めだ。

 だが、寒さに震えて何もしないでいるよりは、気がまぎれる。
 
 数分で、呼吸吸入が終わる。
 そしてまた手持ちぶたさに、すわったまま待っている。今度は待っているものが決まっているので、不安感が少ない。
 
 高熱の中で食べられるかどうかわからない飯だ。どうせ豆と肉に違いない。どうしてベネズエラはこれほど食文化が貧弱なのか。

 ぼくは、偉大なカリスマフードアナリストニフティのページでレストランを採点できる)なのに.、ああ、いつも2.5点の食事ばかりとは、神はこのぼくに拷問のような試練を与えて、試しているのだろうか?
 

 それにしても寒い。寒気がする。この冷房どうにかならないか。ベッドで寝転がっている二人の女性もジャンバーを着ている。
 厚手の上着を持ってくるべきであった。
 ぼくは北海道旭川市の生まれなので、零下25度前後でもへっちゃらで遊びまわっていたが、この高熱ではいかんともしがたい。

 さて、ほんとうに飯がきた。

 そしてふたを開けてみると、やっぱ予想とおりの豆と肉。うーん、あきあきしたぜ、お豆ちゃんと牛肉。おれは今は一般人。

 上野でホームレスをやっていたときならば、あふあふと餓鬼のように食べたであろうが、今は仕事がある身(ほんの一瞬だが)、まともなものが食べたーい。

 それでも、栄養をとらねばという焦燥感、義務感から半分ほど食べ、あとは残した。
 結局、これがぼくの当分の間、最後の食事になろうとは思いもよらなかったのだが。