単身赴任で熱帯病になる 3

食事をしてしばらくしてから、研修医の一人に連れられて、レントゲン室を訪れ、数枚胸の写真をとられた。

一瞬、被爆が気になる。たしか直接レントゲンの場合は、予防行為ががんの原因になるのでやめたほうがいい、と『患者よ、癌と闘うな』の著者慶応義塾大学医学部放射線科講師の近藤誠医師がいっていたと、覚えている。

ぼくの余命は、油ぎったベネズエラ食、この被爆で、きっと5年ぐらい縮まったに違いない。そういえば、以前、インド全土5大都市の投資環境を調査したことがある。

カルカッタの駐在員は、「ここにいた人間は50歳ぐらいでころっと死んでいるよ。肺がんとか多いし、劣悪な環境だから、そのへんをよろしく組合にもいっておいて」などと依頼されたことがある。

 たしかにカルカッタは、火事かと思う煤煙が立ち込める、水は石灰、砒素入り、交通渋滞は、まあこれはベネズエラと勝負だが、想像を絶する、などききしにまさる環境で、ぼくも住むのはまっぴらごめんと思ったものだ。それに比べれば、ここはまだましか。

 人間は自分あるいは自分の居る環境よりも、下を見て、安心し、現状をあきらめるものなのだ。想像されうる最下層におちた場合も、もう気力が落ちているので、あきらめるものだ。人間はあきらめる動物なのだ。
 あきらめずに革命などと騒ぐのは、生活に余裕のあるお金もちときまっている。

そんなことを考えながら、緊急病棟に戻り、また喉のしぃーはー、しぃーはーをやり、時をつぶす。そのうち、二人の女性が帰る。

残りは、ずっと寝転んで、点滴を受けている女性と、もうひとりふとっちょの若い男だ。
ぼくは座っているのに疲れて、



「そっちのあいたベッドにねころがっていいですか」
「いや、上にかけるシーツがないから、だめだよ」

 よくわからない。なぜ? 彼女らはねころがっていたじゃないか。だが、小心従順で、狡猾なぼくはしかたなく、うなずき、彼らがいないときに、ベッドにうつってしまおうと思う。おしゃべりなでかい男の患者に先を越されないようにしなければ。

 人生どこでも生存競争なのだ。ずるいやつが勝つ。それに多分熱が39度ぐらいあり、寒いし、ほんと辛いの


 それにししても、医者もこないくせにどうしてくれる。もう5時である。病院にきてから7時間も過ぎている。もう帰って明日に出直そうか、
「何時にお医者さんはくるの? もう帰ろうかと思うんだけど」
「え、帰る。本当に帰るの。そろそろ来るよ」
 そう、研修医の一人が脅すように答える。

 ならば、あと1時間ほどまっていようか。
 研修医がぼくが退屈なのに気づいたのか、「じゃあ、VIAを作るよ」
 という。
 なんとなく想像はつくが、いったい VIAとはなんだろうか?