いつ落ちるの、この飛行機 ボリビア サンタクルス 1987 春
飛行機はエンジン不調
私は不思議と落ちついて遺書を書いていた。
エンジンは依然不気味な愚音之、愚音之という音で、不安を掻き立てている。だが、誰一人騒ぎ出す乗客はいない。シーンと静まり返っている。みな運命の採決を、この老朽化した飛行機とパイロットの腕に委ねている。
機内はいつのまにか消燈していて、闇が逆に恐怖を取り払っているのかもしれない。きっと昼間ならもっと怖かったことだろう、そんな気がする。それに加えて頭は眠りからさめたばかりで、まだ夢を見ているかのようだ。
照明灯の明かりに照らされたノートに黒い文字がつづられて行く。
現在の日時、状況、自分の人生にある程度満足していることなどなど…
そして日本語では捨てられるのではという心配から、それをスペイン語に翻訳していった。書くという行為が恐怖を忘れさせてくれた。
とても静かな透明な時間だった。錐もみも急降下もない。以前アンデス山脈の上でエクアドル航空のジェット機が千メートル近く急降下したことがあるが、あのときに比べるとずっと言い。
空港に引き返すのは二度目だった。
サンタクルスのビルビル空港は日本の援助でフジタが建てたぴかぴかの最新式だというのに、ボーイング707のほうは安全ベルトに今はなきパン・アメリカン航空のロゴが入っていた。飛行機会社はボリビア人が愛憎の入り交ざった感情でLoveと呼んでいる、何時潰れても不思議ではないLOYDO BOLIVIANOである。
機体はスクラップになりそうなほどに色が黒ずんでいる。人でいえば、とうに引退して年金をもらってもいい歳である。機内に乗り込んだ私たち乗客は、離陸寸前に一度下ろされたしまった。左のエンジンが不調なのだという。
私は空港の税関を通ったあとの待合室で、あくびをかみ殺しながら、数人の整備士が左のエンジンの薄汚れた外枠を外して中身と格闘しているのを見ていた。
一九八六年~八年にかけて私はボリビア東武鉄道復旧の工事のためにアマゾン南域のはずれにある小村に滞在していた。一年ぶりの休暇で日本に一時帰国する途中だった。なお工事の実情は拙著『アマゾンに鉄道を作るー大成建設秘録 電気がないから幸せだった』(五月書房)に詳しい。
そのうち、日本から購入したお古のYS-11はすべてアンデス山脈の山肌でおしゃかになったという風説や、私の住む現場から近いパンタナルの大湿原に撃墜した飛行機のことを思い出していた。パンタナルの場合は事故機を捜索にいった飛行機まで消息不明になっている。湿原に落ちると沈んだきりなのか、めったに発見されない。
こんなことなら、ブラジルの飛行機を使ってサンパウロ経由で、帰国するべきであった。それなら今ごろはマナウスに着いているはずだ。だが誰一人文句をいう乗客はいない。みな天災か何かのように諦めている。
山高帽を被ったアイマラ族のおじさんも、スペインの中世の流行の衣服をそのまま着ているのだというパラシュート型の赤いスカートをはいたケチュア族のおばさんも、背広の紳士も、ラフな格好の青年も、三つ網のお下げの女性も、みな両腕を十字に組んで頭をひれ伏してうなだれている。熱帯雨林のど真ん中に出来た広大な都市の西の外れに日が沈んでゆく。
私はもう欠航だろうと、諦めてレストランに夕飯でも食べにいこうかと席を立った。ちょうどその時、アナウンスがあった。
―マナウス、カラカス、パナマ経由マイアミ行き、出発ゲートへお越しください
乗客たちは、笑顔を見せて立ちあがり、ぞろぞろぞろぞろ歩いて列をなす。
「夕飯はなにかしらね」
「マナウスの叔父さんは首を長くして待ってるわ」
「どうにか乗り継ぎには間に合いそう」
乗客たちはエンジンは大丈夫だろうかという疑念をとりあえず棚上げしているようである。
搭乗後、私は念のために機体の右側の非常口のそばの席に座った。乗客は一〇〇人弱で機内はがらがらで、席は早いもの勝ちなのである。
そして念のため頭上のロッカーから毛布と枕を出して横の席に置いた。もしものときは、頭と腹をそれらで守ろうという魂胆である。
今回は、エンジンが稼動すると間もなく、機体が動き始めた。飛行機が滑走路に出て一度停止し、エンジンが唸りを上げると、私は念入りに十字を切り、神様仏様落ちませんようにと心底祈った。
祈りが通じたのか、二度目の離陸への挑戦は成功した。飛行機はどんどん高度を上げ、程なくして水平飛行に移った。ベルト着用のサインも消えた。ほっと一息つき窓から眼下を眺める。暗闇である。昼下がりの飛行のはずだった。アマゾン流域のジャングルの眺めを楽しめるかと期待していたが、それも叶わぬ夢となった。
時計を確認すると、五時間遅れ。マイアミからのAmericanへの乗り継ぎはどうにか間に合いそうである。エンジンの音が気に掛かるが、心配しても意味がない。むしろ揺れも少なく快適な夜間飛行といえそうである。
私はカバンから漫画雑誌を取りだし、それを目で追っているうちにうつらうつらと船を漕ぎ出した。
目がさめたのは、スチャードに肩を手で叩かれたときだった(続く)。