グローバルサウスを実践するー世界潜入取材記ー

無事着陸したものの

機内で村の神父の祈りを真似してみる

 食事かと思うと、違う。ベルトを締めてくれという。見ると、ベルト着用のサインが点灯している。彼はなにもいわずに前席へ戻って行く。きっと気流の不安定なところにはいるのだろうと推測した。ところがすぐに機長からの機内放送が流れる。

 

―当機はサンタクルス、ビルビル空港に引き返します。

 

 こうして離陸地へ引き返す間に、静かに遺書を書いていたわけである。その行為が終わったころに、ちょうど空港の上空へついた。

 窓から見ると、眼下には赤い光がいくつか点滅している。消防車と救急車である。 

 

 闇の中を飛行機は何度か旋回する。もしかしたら燃料を減らしているのか。いや少なくともブラジルのマナウスまで行くのだから、燃料はたっぷりと残っているはずである。その間スチャードが客席を巡って頭を下に向け腕で抱え込むように指示して歩いている。

 機長からのアナウンスが流れる。

―まもなく着陸します  

 

 エンジンは不気味に唸っている。だが機内は奇妙なほど静かである。

 みな、なにを思っているのだろうか。死?

 機長の声も冷静だったし、客室乗務員も落ちついた感じである。飛行機もさほど揺れていない。胸の前で信じてもいないのに十字を切る。そして指示とおり頭を抱え込む。腹には毛布をまるめて置き、前の座席の後部に枕をはさみこんでいる。

 

 もし墜落すればほとんど意味がないに違いない。死ぬなら死んでもいいが、できたら生きていたい。まだやるべきことも残っているし、再会したい人たちもいる。だからほんのちょっとの可能性にも掛けてみる。

 

 飛行機は左右に少しゆれながらゆっくりと降りて行く。エンジン音が大きくなり、静かになり、大きくなり、かすれて行く。そして急な降下。耳がジーンと唸る。ふーと深呼吸。

  ドーン!

  空港への無事の帰還となった。

 

ボリビア的諦念なのか

 こうしてまた振り出しに戻ったのである。

 私は再び欠伸をかみ殺して空港のロビーで待っている。時計を見ると夜の九時、空港に着いてからもう七時間になる。

 ボリビア人たちはうなだれて待っている。座席の肘掛に頭を押し付けて、打ちひしがれている。

 彼らを見ていると、仏教徒的諦念とか、アジア的諦念という言葉が頭に浮かんでくる。私が時に数日遅れる列車に一年で慣れてしまったように、生涯ここで暮らす彼らはこんなことには馴れ切っているのだろう。

 

 時々、カウンターに顔を出すラブ(Love)の職員の若いちょび髭に「新しい飛行機を持って来い」とか「どうせ欠航なのだからホテルを用意しろ」だとか、要求を出すのは私とブラジルの若い実業家だけである。

 

 そのうち文句の一言も言わないボリビア人に腹が立ち始め、この国の歴史の根源にまで考えが遡ってしまう。

 つまり征服された民なのだ、五〇〇年間沈黙を強いられてきた民の末裔なのだ。お上に文句を言っても無駄、そんなことをすれば、むしろ植民地政府や軍事政権にやり込められ、アンデスの中腹に自ら墓を掘らされて銃殺されるのが落ちなのだ。この国が独立したのは、一八二五年。その後二〇〇回近くもクーデタが起こっている。

 労働者のためのボリビア革命もあったが、それは結局国を食潰す労働貴族を生み出すだけで終わった。労働者の生き血を吸う労働組合の幹部が巨万の富を築いたというわけである。

 

 だからこそ、ボリビア革命を担った本人であるビクトル・パスは老体に鞭打ち、四度目の大統領に返り咲き、この八〇年代の後半には君子豹変するとばかり、戦車を繰り出してさえ、自ら作った労働組合を潰しにかかっていたのだ。

 

 飛行機会社のカウンターでクレームをつけた後で席に戻ろうと歩いていると、すらっとした、浅黒い肌のお下げ髪の美しい女性が声をかけてくる。二〇代前半の学生風である(海外ではクレーマーになれ 続く)。