関西へ疎開 大阪編

 昨日、8時20分の全日空機で子ども二人(中学2年と小学校5年)と妻と大阪へ飛び立った。大阪便は満員だった。一昨日、4号基からの白煙をテレビでみて、決意し、ネットでぎりぎり予約したのだった。

 羽田空港は避難民でごったがえししているかと予測したが、人の数もさほどいるとは見えなかった。富山、札幌などの便にはまだ空席がある。

 拍子抜けした。仕事があるとはいえ、なぜ逃げないのだろうか? 

 子供や妊婦は、臨界の可能性がなくなるまで、疎開するべきである。すでに関西の自治体は避難民を県営住宅などに無料で受け入れてくるようである。原子炉が臨界した場合は、避難地域が100キロ程度まで広がるのだろうから、子供だけでも疎開できるような方法を考える必要がある。
 
 さて、私たちの予約したホテルは、西成にある。ツインで一部屋3000円、家族で一泊6000円となる。

 新今宮の駅を夜11時ころに降り、だだぴろい路上に出ると、ぷーんと独特の異臭、ホームレス臭ともいうものが漂ってくる。

 ビジネスホテル大洋。 

 残念ながら、ホテルはボイラーが故障で風呂とサウナは入れない。シャワーだけである。

 4畳半の布団だけの部屋に「えー、こんなところ」と娘は驚く。

「『トイレに汚物を壁になすりつけないで、中に焼き鳥の串を流さないでください』って張り紙があった、すごーい」とは妻。

 しかし、避難所を考えれば、天国なのである。

 この付近では数年前に取材で廃車にホームレスと一緒に泊まったこともあるが、あの頃よりもホームレスの数は減って、多くが福祉をとって、福祉ホテルにとまっているようだ。

 飲み物は自販機も50円だし、あいりん地区の労働福祉会館にいけば、飯は安いし、最悪日雇いの仕事もある。
 
 翌朝、家族とともに労働福祉会館ほかを訪れた。建物の内外で寝ている人間もも多く、ここは津波地震がなくても、日本の最後の砦となる避難所なのである。無料の病院の入口には100人ほどの男たちの列ができている。

 リンゼイ・アン・ホーカーさん殺した市橋達也が隠れて住んでいたところである。

「ああ、これって日本?」と家族は驚いていたが。

 しかし、スーパーには米もトイレットペーパーもティシュも山ほどある。梅田や難波に行けば、平時の東京と同じで笑顔の人ごみでいっぱいである。

 通天閣そばのじゃんじゃん横丁では、たこ焼きを300円で食べられる。うまい!

 ここには平和がある。