ぼくの懺悔

 ぼくは原発の被害にあっている福島の人々に鞭打つ言葉をかけたい。
きっと非難がよせられるだろう。だから、ずるいぼくは最初にここで懺悔しておく。
 原発について70年代はさまざまな反対運動があった。たぶん、40代、50代の人は覚えているかもしれない。学校の社会科の教師は、概ねそのような活動に携わっていたりしたものだ。
 いまでは想像もつかないが、東大にも宇井純のような硬骨漢がいて、公開講座を行い(公害原論)、学術会議原子力問題特別会議三宅泰雄教授とともに、原発の危険性を指摘していた。
 また原発ジプシーという書籍がベストセラー? になったように思う。
 しかしぼくが大学を出るころから、そのような原発への反対運動は後退した。原発地元の反対派が、たとえば福島県ならば、浪江の棚塩の農民が20年もの歳月、「放射能米はいらない!」と叫び、国内外のさほど多くない支援を得て、東北電力、町、県、国と闘い勝利した。
(ああ、あの人たちと、その子孫はどうしたのだろう。棚塩の田んぼはどうしたのだろうか? 近隣に町村が原発を誘致してしまうと、津波で命が助かってもすべての努力は水泡に帰す)。
 けれども、そのような運動を横目で見ただけで、ぼくは何らの共感も持たなかったのである。エネルギーこそが国や生活の根幹をなすのに。

 その後、ぼくは芸術への幻影に憑かれて、しかし体をもつ人間として、生きるだけでせいいっぱいになって、他者を顧みるような余裕がなかった。原発ジプシーのように、時間を切り売りして、ありとあらゆる職業に、就職ジプシーか生涯フリーターとして内外で働き生活し、何十年とすごしてきた。まだ見ぬ星をつかもうといまだ必死なのだ。
だから原発なんてどうでもよかった。たかをくくっていた。忘れた。
 たとえば、ぼくはホームレスの取材を多くしていたが、たまたま原発で働いた人と知り合う機会はなかったこともあるとはいえ、何千人という彼らが、全国の原発でこれまで働き、そして体を壊して、誰知らずに死んでいった。だがそのようなことは書かなかった。
 電気は、彼ら、そして日給1万円前後で働く、作業員がわれわれにおくってくれるものなのである。

 そして、今たまたま、日本にいて、帰国前に放射性物質の輸入・輸送の責任を担う仕事をしていた縁も感じて、今回の未曾有の人災について書いている。

 だが、今さら、遅すぎたのだ。20年、30年、40年も前に原発が作られたのだから。
今になってまるで反原発のような立場に立つのも、まさに偽善であり、厚顔無恥な仕業である。自らの不徳を責めるしかない。

人類の生存可能性を問う
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隠された被ばく労働
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