今日、ホームレスに戻った その3

★ 原宿で遺体を探す 渋谷編
 本が出て印税も少し出たので、おれは家に戻り、子育てにせいを出しながら、原稿に向かっていた。だが、依然として収入は少なく、うつうつとした日々を送っていたのである。

★ 因果応報ホームレス
 その年の夏も猛暑だった。おれは上野公園も飽きたし、狭くて眠りにくいので、ときおりふらっと代々木公園の芝の上で一夜を過ごした。
 理由があった。おれの部屋に冷暖房はなかった。冬は毛布を身体にまきつけ、夏はパンツ一丁で、氷をいれた手ぬぐいを首に巻いて、原稿に向かった。
 だが、限度があった。暑さに耐えられなくなると、渋谷、原宿をうろつき、代々木公園の芝の上で寝た。そこは、上野公園よりも広くて快適だった。二〇代の頃は彼女といっしょに楽しく過ごした場所だったが、今は他のホームレスといっしょに眠っている。
 あの日は、妻がJALに勤めている友人の家に子どもを連れて遊びにいくことになっていた。その家は新築で美しく大きかった。おれの家は親戚の古い家を安く借りていた。妻は「いつになったら、引っ越しできるのかしら」といっていた。
 その友人の家にいくと、おれがいわれることはわかっていた。
「あなたも、クーラーぐらい欲しいんじゃないの。勤め人に戻ったら」
 サラリーマンに戻れるような時代じゃないのを妻はまったく認識していない。
 JALだって今はごらんのとおりだ。ひとこと付け加えると、当時おれのところには始終JALの社員から内部告発があり、何度かその告発者と目立たない場所で会っていた。けれども、妻と共通の知人もいるので、JALの内部事情のことを書くのは少し気がひけた。
 それに、当時編集者は「JALのことなんか書けないですよ。よっぽど人が死ぬ大事故を起こさない限り」というのだった。広告で買収されているのである。
 おれは途中の渋谷まで家族と一緒に行き、渋谷、原宿で時間を潰した。

★ 悪徳バ―のホームレスに傘をもらう
 その日は生憎、空は曇天、一雨きそうだった。
 どうしようか? 
 迷ったときは蛇の道は蛇。寝床、雨宿り、炊き出し、残飯の情報はホームレスに聞くに限る。おれはテント村のある宮下公園へと歩みを進めた。公園には、ちょうど、ベンチの横で、立ったまま空を見上げているホームレスと思しき老人がいた。すたすた歩いてゆき、タバコを差し出し、雨宿りに良い場所を聞いてみた。
「もし金があるなら、山手線に乗ってぐるぐる回るのがいいよ。終電になっちまったら品川駅で降りる。駅周辺は休むことのできる場所が多いからね。渋谷なら、歩道橋の下か、すぐ下の地下道で寝られるよ。ああ、渋谷駅? だめだよ。おれも四ヶ月前まではハチ公前で寝てたんだ。でもご婦人連が夜怖くて歩けないとか文句言い出して、出されちまったんだよ」
 彼は無精ひげを生やし、身体は痩せこけ、しわくちゃのシャツは垢がつもっている。ベンチには黒い皮のカバンとコートなどを入れたビニール袋、何が入っているのか分からない紙袋、そして水の入ったペットボトルを二つ置いている。聞くと、老人は六七歳、長野は諏訪の出身で、実家は畳屋だという(続く)。