東電との前哨戦

 今回は風化していくのもいやなので原発関連について書くことにした。次回は、多分またホームレスもの「原宿で遺体を探す」に戻ります。

 さて、以下は「愛! フクシマの黙示録」第8話 東電との前哨戦からの抜粋。8月末に閉鎖された「郡山ビックパレット」の東電窓口が舞台です。(携帯だけではなくネットでも少し人気が出てきました。BookPlace文学部門週刊ランキング 7位になりました。ご購入いただいた読者の方、ありがとうございます。現在、第10話 原発放射能の秘密、執筆中です)

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 ぼくは兄貴がよく駄菓子屋や長じてからはデパートなどでも、店員にクレームをしているのを見てきた。兄貴のやり方をまねて、もっとぼくは東電を困らせてやろうと思った。
「それに14日は核爆発でしょ、あれプルトニウムとかも出ているし、ここまで飛んでいますよ。きっと」
 東電の社員はさすがに、げげという顔つきをして、隣のより若い社員を見た。若いほうもぼくに視線を伸ばしてきた。
「そんなわけはありません。あれは水素爆発です」
「でも、3号機は1号機と爆発の色も規模もちがうし、燃料プール全部ふっとんでますよ」
「なにをまるで見たかのように。あれはたまたま大きかったのです」
 ぼくらのやりとりを右端の夫婦者も聞き耳を立て始めた。
 隣の若い社員が、ぼくに相対する東電の耳元で「ほら、あそこが」とかなんだとか、ごにょごにょいっている。
 ぼくの相手はほっとしたような顔つきになってぼくにいった。

「わたしどもの、いえもとえ、財団法人エネルギー総合工学研究所のほうで、爆発のメカニズムを調べているはずです。わたしも技術者ではないので、はっきりいえませんが、なんでも特別な、えーとばくごうとかだって」
「ばくごう? なんです、それ?」
「ええと、爆発に車とらじろう、ああ、車みつですよ」
 爆轟 ? なんだか、ごまかされたような感じだ。爆発と爆轟ってどう違うのだ。
「たぶん、小さい爆発は水素爆発、もっと大きくなると爆轟と理解していただければと」
 まったく子どもだましだ。けれども、この一カ月後に3号機は爆轟だったという報道が各紙に踊るのである。
「なるほど、では、核反応ではないと。でも確かに燃料プールはありませんよ。だから、MOX燃料はばらばらになって飛び散ったんです。東電は子どもがプルトニウム食べても飲んでも、吸っても、泣き寝入りしろってことですね。それに、あなたはどこからこられているんですか、本社?」
 うつうつと沈潜していた怒りが腹の底から湧き上がってきた。 
「いえ、福島です」
「じゃあ、東京のことは知りませんね?」
「ええ、まあ、東京からきているんですが」
「ああ、こっちに赴任ですね。ぼくは荒川区なんだけど、なぜ足立区と荒川区だけ停電にになったのかな。おかしいよ!

 ぼくの家もバイト先のコンビニも停電だよ。おかげでバイト代とか損するし、実家のレストランだって客足がばったり。弁償してくれんのかな、なにせ都区内じゃ荒川と足立だけなんだから。どうしてかな?」
「あ、それは管轄外なのでさっぱりわかりません。ただ、われわれの地図は送電網の地図ですから、なんでも荒川と足立は東京とは認識していなかったと聞いていますが」
「えっ、東京じゃない。じゃあ、それ、その送電網見せろよ!」
 ますます腹が立ってきた。
「ですから、担当じゃありません。手持ちにありませんよ。それにもしあったとしても部外者には、テロ対策で見せないことになっています」
 おかしい。何がテロ対策だ。送電網を東電が独占するための社内対策でしかない。
「だって、小学校の地図にさえ、変電所が載っているじゃない。テロ対策だなんてまったく無意味でしょ」
「そうはいわれても、社内ではテロ対策となっています。いずれにしろ、地元の方々にはご迷惑をおかけして、まことに申し訳ないと思っております」
東電は深々と頭を下げた。頭の少し中央部分がはげていた。案外、今回の事故で神経症にでもなったのかもしれない。でも、結局は頭を下げるだけで、自主避難には金は支払わないし、計画停電で休みになったコンビニやもんじゃ焼屋にも何の補償もしないというわけだ。

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★11月初旬に福島第一原発でキセノン133とヨウ素135が発見されて、臨界かと騒がれた。東電は自然核分裂だという。今回のものは量も少なくきっとそうだろう。
 けれども3月15日―17日頃には都内の大学と高崎の観測センターで(37万ベクレル)のヨウ素135と大量のキセノンを観測している。それを臨界といわずにして、なんというのだろうか。3号機からプルトニウム、ウラン、ストロンチウムと多くの核種が飛び散ったのである。核爆発を隠さねばならない理由を参照ください。
荒川区は国のガイドラインを受けてやっと形式(低い場所のみを一部計測していた)ではなく、きちんと放射線を計測。保育園や小学校で50か所で除染基準を超えていた。雨どいや側溝の高線量がぼくは健康被害になるとは思っていない。しかし防災、予防の観点から行政が測定するのは当然。防災都市を目指すならば国の方針など待っているのはまったく論外である。さらに、ブータンにならって区民幸福指数などを導入しようというのだから、まったく区民の幸福に反している。放射能などとたかをくくっていた区長は深く反省してもらいたい。
★娘の小学校でも一か所ホットスポットがあった。だが、校長は、まったく放射能の影響はありませんでした、と報告している。経産省よりも文部省のほうが罪が重い。子どもたちを守ろうという意識は皆無。もんじゅなどの自分たちの利権を守るのに汲々としているのだから。
★もともと原発建設時、技術者は「いつでも核を作れる」ことを誇りとして建設にあたったのだ。核でやられた国の人間がそう思うのは人間として自然だ。それが途中から、真の裏の目的は、原発ムラ、経産省、文部省とその周辺の利権だけのための建設・維持となったのだから、日本という国は戦前からまったく変わらない。
★写真は浪江の管理区域の通行止め。「大丈夫すかね。マスクだけで。ぼく、結婚もしていなくて、まずいすよ」と訴えた徳島県警の若い警官。今、どうしているのだろうか?