ミャンマー軍事政権とODA

誰も知らなかったビルマ

 ミャンマーに関する書籍を渉猟したが、第二次世界大戦の南機関(ミャンマー独立を後押しした)と白骨街道といわれるインパール作戦にかかわるものが多かった。少数だが、ネ・ウィンが指導するするビルマ社会主義(1962年~88年)の時代について書かれたものもあった。その中で、星占いに従って何度かいくつかの紙幣を急に廃止した、おかげで、資産を失った国民の怒りを買うとともに経済は大混乱に陥った、などという記載もあり、えーえーと驚いた。星占い独裁政権! 

 

 けれどもアメリカ元大統領のロナルド・レーガンの妻ナンシーさんが星占いに凝っていてレーガンもそれに影響されていたという記事をどこかで読んだ覚えがある。まあ、政策への影響度の違いはあっても、星占いに影響されているのは、先進国でもありそうだ。

 またネ・ウィンには高杉晋作という日本名があった。彼はアウンサンといっしょに日本の南機関に海南島で軍事訓練を受けた独立の30人の志士の一人だった。

 

 出張前の近々の情勢として最も役に立ち出色だったのは、通産省の当時の在ミャンマー大使館員 藤田正宏が書いた『誰も知らなかったビルマ』だった。1988年の動乱時にミャンマーに滞在し、そのときの様子を克明に描いている。

 1962年から26年間ネ・ウイン独裁政権が続いていたミャンマーは主食のコメ不足や民主化運動が結び付き、88年年3月から9月まで、ビルマ全土(まだビルマと呼ばれていた)で大規模な民主化デモが起き、陸軍や治安部隊が学生を中心に数千人を殺している。

 騒乱の中で、星占いのネ・ウィンが退陣し、一時民間人が首相についたが、軍部は9月18日にクーデター起こし、政権を掌握する。

 

 藤田は軍部と民主化勢力を客観的にバランス良く描いていた。たとえば、アウンサンスー・チーの初めての演説には「スピーカーの出力が弱く、演説の内容は演壇近くにいた我々がやっと聞き取れるくらいだった。原稿を淡々と読み上げるばかりで迫力は今一歩で、写真でみたよりも緊張のせいか疲れているように見えて、精彩がなかった」

 一方、こんな記述もある。

「ステージのそばでスー・チー女史の演説を聞きながら涙をポロポロ流して泣いている女子学生がいた。私の横にいた弁護士の話では、3月暴動の際逮捕され、ひどい虐待を受けた女性の一人で、今は反政府運動で活躍しているとのことだった」 

 

 スー・チー演説の日から政府は世界中の独裁政権が使う常套手段を試みる。すなわち、国内の刑務所を次々と解放し、囚人たちが街に出て犯罪を犯し、治安を一層悪化させるのである。民衆は自警団を作って犯罪から防衛する。治安維持のためには、軍が出るしかない状況を作るのだ。ミャンマー軍は外国の敵と戦うのではなく、国内の民主派を弾圧し、国内の他民族と戦うための装置である。

 

 残念なのは、『誰も知らなかったビルマ』は絶版なのでもう手に入らないことだ。図書館で借りるしかない。さらに著者の藤田のその後をネットで確認すると、住友商事を経て現在は石油資源開発株式会社の社長となっている。(続く)