ミャンマー軍事政権とODA

ミャンマーの家族 チェリーときもったまかーさん

ミャンマー軍事政権とODA

 ミャンマーに関する記事がよく掲載されている。言論人が書くミャンマーの歴史や現状については、何か変なところがある。読んでいると隔靴搔痒の気分になる。それは多分、軍事政府のお偉いさんに会ったり、ヤンゴンしか訪れないからかもしれない。戦前から日本人はミャンマーを見誤ってきたように思う。

 また、ビジネス界は投資を再開したくてうずうずしているように見える。いいのだろうか? あるいはどのようなものならばいいのだろうか? 

 

 今、「顔面蒼白漂流記」ー冒険の作法ーを書いている途上だが、そのうちのミャンマーにかかわる部分を一部公開・連載しようと思う。今に続く歴史の一端である。軍事独裁政権時のチリ、現在のベネズエラに係わった私は、独裁政治とは何かを身体で経験している。

 

 私の手元には、1996年3月発刊の『ミャンマーの情報化・人材育成に係わる調査報告書』(CRC総合研究所)と伊藤忠商事発行の『Global Sensor ミャンマー/輝ける未来への道標』(1996年3月)がある。いずれも星霜を経て表紙が変色している。

 後者の巻頭には高原友生(当時CRC総合研究所会長)の「ミャンマーの座標軸」、その後には、当時のミャンマー大使山口洋一の「活力に満ち溢れるミャンマー」、そして桐生稔(中部大学国際関係学部教授 当時)の「文民体制実現は国軍の使命」と続き、巻末に「ミャンマーに情報産業?」なるコラムがある。署名はKK。私の本名のイニシャルである。ミャンマーの現状を直視するに、歴史はどんな教訓を語ってくれるのだろうか?

宝石と政治犯の妻

 1992年より私は伊藤忠商事系の今はなきCRC総合研究所で援助と投資のコンサルタントとして勤務していた。主な担当となった国は、チリ、ミャンマー、インドだった。いずれも3回訪れている。その他、グアテマラホンジュラス、中国、香港、サウジアラビア、トルコ、マレーシア、ソロモン諸島マーシャル諸島を現地調査する機会を得た。

 今回はミャンマーの話である。93年の年初に突然ミャンマー案件が降ってわいてきた。

「海外にいて知らないかもしれないが、3,4年前はひどい動乱があったんだよ。今は静まっているみたいだけどね」

 私の上司にあたるずっと年上で大酒飲みのMがいった。彼とは飲み仲間で、「もう一杯」「もう一杯」と飲みだすときりがない。チリにもいっしょに出張したが、到着するまで機内で飲み続けで、着いたときにはべろんべろんになっていた愛すべき酔っ払いである。

 調べてみると、1988年~89年にかけて学生を中心とする民主化運動が軍に弾圧され、数千人が殺害されたようだ。動乱の最盛期は88年8月前後だという。なるほど、ニュースを見たり読んだりする余裕はなかった。私はブラジルの黒人のローマと呼ばれるバイアサルバドールで身ぐるみはがされ、無一文無国籍になっていた。

 日本にいる日本人には、動乱のミャンマーの記憶があるようだった。

 ミャンマーは1993年当時も軍事政権だった。アウンサンスー・チーは1989年から自宅軟禁されたままだ。

 担当となった私のところにはミャンマー関連の近々の情報が集まってきた。この年1月から始まった新憲法策定のための国民会議の状況、投資関連の法律、地方での軍とビルマ族以外の民族とりわけカレン民族同盟との内戦など。こうして事前調査をしているうちに疑問が二つ湧いてきた。

 ビルマ族以外は少数民族と言われたり書かれたりしている。だが、変だ。推計ではあるが、たとえばカレン族350万人、シャン族200万人、カチン族155万人、モン族100万人。これらは主な人々だが、ミャンマーには総計135の民族がいるというのだから、人口5000万人ほどの国で、少数とはいえないのではないか。

 

 またその当時ビルマミャンマーか、国名はどちらがよいかとマスコミで話題になっていた。ビルマミャンマーの英語訛だという。日本がジャパンと呼ばれるのに似ている。日本は日本国が国名である。だが、国際大会ではジャパン、パスポートの発行国はJPNと記載されている。

 英国やアウンサンスー・チーは軍政が変更したのはけしからんとしてビルマと呼ぶ。だが、アウンサンスー・チーはともかく、植民地宗主国であった英国やBBCが何をかいわんやである。分裂して統治せよの成功例がミャンマーである。中国人やインド人をビルマ人の上におき、カチン族やカレン族キリスト教化し、憎悪の矛先は、自身に向かわないようにした。それは大成功で国内にいっそうの火種を作った。

 『1984』や『動物農場』の作品がある英国人作家のジョージ・オーウェルは1922年から5年間ビルマで勤務している。その時の植民者イギリス人の欺瞞や尊大さに嫌気がさし、処女作『ビルマの日々』を書いている。この経験は彼の作品に色濃く反映されている。

 私は早々、ミャンマーのほうがいいと考えるようになった(続く)。

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