総選挙を占う 民主政権下、こうしてメディアは殺される

 2005年の個人情報保護法案(首相小泉)、2013年の秘密保護法(首相安倍)、2017年の共謀罪法(首相安倍)ときては、ノンフィクションのライターや作家は、活動するのが本当に難しくなった。最初の個人情報保護法からして、政治家や役人を守り、硬派のノンフィクション関係者を抹殺するものだった。以前は役人にきいたら、積極的あるいはしぶしぶ、知りたいことを教えてくれたが、「それは個人情報ですから」のひとことで、終わってしまう。

 もちろん、中には、大切なことだと考え、そっと教えてくれる役人もいた。それが、秘密保護法、共謀罪法まで施工されたのだから、ノンフィクション関係者の中には転職せざるおえないと思った人もいるだろう。それでなくても、読者人口は減り、総合雑誌(月刊)も数えるほどしかない。残っているのは、両極端な右翼系か左翼系か、一般雑誌は超少なくなった。
 
 しかも、安倍政権ほど、露骨にメディアに圧力をかけた政権は戦後なかっただろう。NHKはともかく、民放の人事にまで口を挟むのだから、独裁国家と近似している。そういう国では、メタファで批判するようになってしまう。アルゼンチンの作家、ルイス・ボルヘスは独裁者ペロンの元で、尾行までされていたが、「独裁国家では修辞法、隠喩(いんゆ)技術が上達する」といっていた。だが、それは社会全体にとっていいこととは思えない。

 さて、希望の党の小池さんだが、もともとテレビ出身なのだから、内情をよく知り、もしかしたらもっと手ごわいかもしれない。少なくとも、テレビの使い方を最もたけている政治家だろう。右でも左でも権力は同じである。

 さて、以下はWEDGEInfinity掲載の、隠喩(いんゆ)レポートに赤字を入れたものである。

 トランプ政権になってジョージ・オーウェルの『1984』が売れているという。本の内容は偽りに立脚する全体主義国家を描いたもので、旧ソ連、現在の北朝鮮を思わせる。けれども筆者が住んでいたベネズエラは、民主主義の下、メディアを殺し、幻想の王国を作り上げた。どうやったのか? 現地でベテランジャーナリストらを取材した。

最初はメディアが政権にすり寄った

ベネズエラでは、チャべスが選挙に立った時、主要メディア、とりわけ全国紙エル・ナショナルと、ベネズエラ最大のテレビ・ラジオ局のRCTVは一時チャべス政権を後押した。45歳と若くて政治経験もないから彼をコントロールできると考えていたんだよ」。二十数年、テレビやラジオのレポーターとして活躍してきたサンチャゴ(仮名62歳)は苦々しく言った。

 軍人のチャべスが1999年に大統領になったときは、一大ブームだったのだろう。歴史から忘れられた人々、メディアから顧みられない層などの復権を目指して「貧者救済」「汚職一掃」「ボリビア革命」を唱え、旧支配層を一層し、新鮮な風を社会に吹き込んでくれる。派手なパフォーマンスと暴言は、視聴率を上げ、販売数をあげる。だからマスコミのお気に入りだった。だが、それだけではない。

 地方紙を25年以上渡り歩いて、最後は編集局長となっていたアルベルト(仮名73歳)が付け加えた。   

 「ベネズエラのジャーナリストの多くは左翼だ。ベネズエラ中央大学などのジャーナリスト学部を卒業するか、ジャーナリズム組合で5年働ければ記者として認められる。大学教授も組合員も共産主義者が多い。チャべス政権ができたとき、彼らはチャンスだと思ったんだ。政治に参加できる、大使になれる、大臣になれる、そして政権をコントロールできるってね。それが裏切られた。こんな悲惨な国にしたのは、メディアの責任が重い」

 サンチャゴは、政治的には社会民主主義者で、チャべスの大統領顧問だった人間が知人におり、アルベルトはキリスト教民主主義者で、2002年のクーデターの時に数合わせのため、請われて一瞬国会議員にもなっている。チャべス政権の裏を知る人だった。

 「実際、政権樹立後、エル・ナショナルの社主の妻は情報局の大臣になった。編集局長アルフレッド・ペーニャは官房長官になって、その後はカラカス市長になった」(サンチャゴ)

 現在、エル・ナショナルは全国紙では唯一残った反体制の新聞となっている。何が起こったのだろうか? 

 「マスコミ出身者は、入閣して民主主義とは全く無関係で、自由な報道を殺す犯罪政権だと気づいて、嫌気がさしたんだよ。カラカス市長になったアルフレッド・ペーニャがいい例だ。2001年彼はこういった。

 “メディアに力を与えるのではなく、犯罪者に武器を与えるのがチャべスだ”

 結局、2002年のクーデター時に反チャべスに回った。その後弾圧されてアメリカに逃亡している。ベネズエラの裁判所は彼を犯罪者として起訴しているがね」(サンチャゴ)

 2002年、財界、石油テクノクラート、反共産主義自由主義者らの陣営がチャべス追い落としのクーデターをしかけた。アメリカの後ろ盾があったともいわれている。

 「メディア弾圧の兆候は、99年のVEN PRESSの廃止だった。民主政権下の国営メディアだけど、そのモットーは国民に情報を伝え、娯楽を与え、教養を育むという本来のメディアの役割を心得ていた。チャべスはその代わりにAVN(ベネズエラ・ニュースエージェンシー)を作った。その思想は政治的イデオロギープロパガンダで目的は思想統制と洗脳だよ。かつての寛大さはなくなったんだ。次に、政府は2002年に『真実を言え』とのコミュニケを出して、民放に圧力をかけた。2004年には『テレビ・ラジオ法』を発効して、無料の政府の宣伝枠を義務付けたんだ。もちろん選挙の宣伝も与党は無料だ」

 ベネズエラではスポーツ中継やドラマのまさにいいところで、突然無味乾燥な政府のプロパガンダが入る。
 2002年、財界、石油テクノクラート、反共産主義自由主義者らの陣営がチャべス追い落としのクーデターをしかけた。アメリカの後ろ盾があったともいわれている。

テレビはこうして殺された
 2008年の夏、私が駐在し始めたころ、新聞は全国紙も地方紙も大半が反チャべスの論陣を堂々と張っていた。一方、テレビは「グロ―ボ・ビション」を除いて政府の軍門に下っていた。すなわち、チャべスのコアな信者は新聞など読まないので、まずはテレビ局から手をつけたのである。

 「ベネズエラのテレビ、ラジオは、以前は巨大だった。もちろん民放だよ。ベネズエラのテレノベラ(テレビドラマ)はスペイン語圏に輸出する一大産業だった。その核となっていたのが、RCTV(ラジオ・カラカス・テレビ)だよ。ベネズエラ最古で最大のテレビ局で、ベネズエラ全土で49%もの放送網をもっていた。でも政府には事実を報道していたので目ざわりだった。2007年5月27日に、53年の歴史を閉じた。政府は供給する電波の契約を更新しなかったんだ」(サンチャゴ)

 RCTVは元々は自由民主主義に立脚するテレビ局で、クーデターのときに情報を操作したともいわれている。

 「私はその少し前から二度とマスコミでレポートをできなくなっていたよ。RCTVにも出られなかった。チャべス派に『真実の報道をしろ、さもないと命はない』と誘拐されて拳銃を突きつけられたんだ」(サンチャゴ)

 当時のRCTVの記者たちはどうなったんですか?

 「記者どころか、掃除のおばさんまで解雇されたよ。機材のすべては電波を受け継ぐ国営のTVes(ベネズエラ社会テレビ)に引き渡されたんだ。記者もディレクターもちりぢりばらばらになって、海外に出るか、タクシーの運転手やホテルのボーイになるとか、別の仕事に就くしかない。さすがに国民も怒ったんだろう。チャべスはそれを接収したあとの憲法改正国民投票で敗北している。選挙唯一の敗北だ。その後、TVes はお決まりのプロパガンダを始めたわけだ」(アルベルト)

 「電波権を政府が握っているからね。だから、ラジオ、テレビは羊のようにおとなしくなる。いまだってそれがあるよ。電波を更新しなければ、どうなるかというと、国家の別会社がそれを買うのさ。国家の金でね」(サンチャゴ)

 グロ―ボ・ビションはどうですか。『こんにちは 大統領』に対抗して『こんにちは 市民』を放送してましたけど。

 グロ―ボ・ビションは、国民の実際の生活状況、崩壊するインフラ、激増する犯罪、そしてチャべス政権の生々しい腐敗スキャンダルを次々と流していた。アメリカがらみの事件もあり、FBIやCIAから情報をもらっていたと推測される。

 「グロ―ボ・ビションは、ケーブルテレビだからRCTVほど放映網をもっていなかった。国の35%をカバーするだけだ。影響はまだ少ない。でも、ものすごい反政府だった。経営権をもっていたのは、資本家3人。このテレビ局だけはラテンアメリカ全土にレポーターがいた。朝から晩までニュースを報道していたな」

 結局、真実を言えと圧力をかけるだけではなく、どこの政府でも使う手だが、社主は脱税の疑いが帰せられてアメリカに逃げ、グロ―ボ・ビションは政府に接収され、人気レポーターたちは去り、今は北朝鮮朝鮮中央テレビのようになってしまった。

 同じように地方のテレビ局は次々と接収されていき、機材も奪われた。中にはインターネットテレビとして細々と活動をしている局もある。無傷なのはスポーツ専門チャンネルや娯楽に徹しているチャンネルである。

 日本はまだましとはいえ、やはり政権が強いとテレビは圧力に屈してしまう。安倍政権のもりかけ疑惑で、政権の支持率が下がって、やっと物を言えるようになったテレビ局も多いようだ。支持率が上がれば、また屈してしまうことだろう。


新聞はこうして締め上げられた
 2014年に4度目の駐在でベネズエラに戻ってくると、新聞も直接の政府批判は控えるようになっていた。新聞はどうなってしまったのだろうか?

 「ご存じのように、ラジオ、テレビ、新聞もすべて宣伝で収入を得ている。新聞は発行部数よりもね。じゃあ、政府はどうやったか? 経営陣と交渉したんだよ。宣伝を切らない、とね。私企業のほとんどは接収されて国営企業だから。するとどうなったか? 新聞は独立しているとしても、恐怖がある。たとえば、政府を批判するにも直接しない、メタファーさ。そして、マスコミとしてもっとも悲しいことだが、自己検閲を始めた。釣り合いをとるなどといっているが、この紙面には反政府の記事を、別の紙面には政府万歳の記事を載せる」(アルベルト)

 「もともと記者は頑固で言うことをきかない。だから、まずは広告が来ないようにする、次は政府の金で株式を買って実際に経営権を奪う。100年の歴史を持つ、ウニベルサル、 発行部数最高だったウルティマ・ノティシアは政府が買った。マラカイボにあるパノラーマは買ったのではなく、広告ほかで便宜を図った。東部では、エル・ティエンポは反政府で独立しているけど、ほかの新聞はすべて政府系になってしまっている。それでもコントロールできないときは紙の配給をとめる。紙は国内で生産できないので、アメリカやカナダから輸入する。そのための紙輸入配給会社を政府がつくってコントロールしている。ラジオも電波網を持つCANTVに支配され、95%は政府の軍門に下っている」(サンチャゴ)

 日本でも新聞二紙は何年も前から政権に完全にすり寄って、政府広報紙している。無料で配ればいいのにと思ってしまう。戦後、マスコミは大いなる反省をしたはずが、再び大本営発表である。ラジオ、週刊誌は経営もあろうが、ともかく頑張ってもらいたいものだ。

自由なメディアが消えた世界
ベネズエラ憲法は、言論の自由を保障し、検閲を禁止している。国会議員や大統領は選挙で選ばれている。民主主義の形をとっているのに、言論の自由は風前の灯で、真実が伝わるメディアは、主にツイッターフェイスブックになってしまった。すると、どうなったか。

 「政府が何をやっているのかわからない。大統領が外遊して海外の首脳にあっても、その内容が伝わらない」(アルベルト)

 「最大の問題は、コカイン政権の腐敗についてまったく報道されなくなったことだよ」(サンチャゴ)

 こうして、権力に対する監視が行われない社会の中で腐敗も犯罪も猖獗を極めて行ったのである。
 
 今、日本の不安は、希望の党自民党による大政翼賛会ができそうなことである。そのとき、一層、言論の自由は狭まり、民主主義は後退する。