夏目漱石が猫の姿で蘇った?
















 夏目漱石は、デビュー作「吾輩は猫である」から後半の「行人」「明暗」に到るまで、何が嫌いか、何が苦しいかなどの不平不満を作品で言い続けた作家です。
逆に何が好きかはほとんどいっていません。
 すなわち、漱石は、
「金持ちは嫌いだが金が欲しい、探偵は大嫌いだが警察は怖い、女は好きだが苦痛の種だ、自殺して楽になりたいが死にたくない。
だから世の中と折り合いをつけて生きて行く他はない」

「戦争は嫌い、大和魂は嫌い、権力は嫌い、財界は嫌い、嘘と偽善は嫌い、西洋思想は嫌い、親戚付き合いは嫌い」

「思索が好き、執筆が好き、友人が好き、東洋思想が好き、和菓子が好き」

 そんな漱石が生まれ変わったら、今の社会風潮や政治に対して何と言うでしょうか。ずっとそのことを考えてきました。

 今の時代は曲がりなりにも平和で言論の自由もあります。ところが、漱石が「吾輩は猫である」を書き始めたのは1904年、発表は05年、日露戦争の時代です。
1900年には治安警察法が交付され、幸徳秋水片山潜らの社会民主党は即日禁止、06年には日本社会党結成されるも翌年には禁止。地方から出てきた都市下層民、
スラムが形成される暗い時代でもありました。
 
 今の世相と比べながら、そんなことをつらつら考えていると、友人の貧乏イラストレーターが
夏目漱石そっくりの猫と出合った。きっと生まれ変わりだ」と漱石猫の怒っているような写真を私に見せ、
「なにか書いてみろ!」と命じるではありませんか。

 それがきっかけで、漱石が没後100年に猫となって生まれ変わったら、どんな不平不満をぶつぶつと呟くのだろうかと、
吾輩は猫である』を種本としてつれづれなるままにしたためてみました。

 笑ってください。ちょっと泣けるかもしれません。