「ブラジルのバイアにいる錯覚に陥る場所が新宿にある」
そう、 先日、風樹さんに誘われた。
訪れたのは、「カポエィラ・テンポ」だ。
突然、カポエィラの初心者コースに参加するはめになっちゃった。
その時の様子は、風樹さんの夕刊フジの記事に詳しい。
カポエィラはもともとアフリカのバンツー族の格闘技に起源する。それがブラジルの奴隷の間で変質し、今に伝わる格闘技かつ舞踏だ。
初心者コースながらカポエィラをやっている途中で、ぼくも、風樹さんも足や腕や盲腸がつってしまった。情けない。
でも、カポエィラはそれぐらい激しい運動なんだ。
ぼくは以前、休暇をとってブラジルのバイア州サルバドール、黒人のローマといわれるアフリカ以上にアフリカ的な街、ブラジルのかつての首都に長らく滞在していたことがある。
ここは何百万人という奴隷が陸揚げされた街だ。今はブラジル音楽のメッカ、そして アフリカ系の宗教のカンドンブレの神、ババロン、オガン、オシャラなどを祭っている。もちろんカポエィラのメッカで、「カポエィラ・テンポ」の本部もここにあり、理事長の須田竜太さんは現在この地で修業中だ。
ぼくはディセンテという名のカポエィラの親分とそして家出娘のバルバラと毎夜飲み明かしていたもんだ。
そのときの日記をさがしてみた。ちょっとはカポエィラの雰囲気がわかると思うので、引用してみよう。
「 朝の陽射しが青い空からかっと照りつけ、弓のような形をした楽器ビリンバオの緩慢な響きが、陽炎の立つ空気の幾層もの襞に一層複雑な振動を醸しだし、人を坑しがたい日眩に引き込んでいた。汗にべとつくテ−シャツが皮膚にうっとうしく纏いついてくる。
二重三重の観客に取り巻かれたカポエリスタたちの中に、ディセンテのトレ−ドマ−クである椰子帽は、見当らない。
輪の中央では、二人のジ−パンを履いた上半身裸の若い男が、躯を交差させ、跳び上がり、逆立ちし、反り返り、回転し、縦横無尽に空間を支配していた。時々見物人の輪からわっと言う歓声が上がる。
カポエィラは、もともと手かせ足かせをはめられた奴隷たちの唯一の抵抗手段であり、また時には白人の用心棒という地位を獲得するための荒技だった。
二拍子の空手と違い、怠惰な音楽にのって繰り出される電光石火の回し蹴りや、素早いかわし技は、手品か、練りに練った思いがけない詐欺のようで、底には、格闘技を華麗な舞踏に変えたブラジルのサッカーと同じ種類の何かが流れていた。
今も、空気を切り裂く音とともに、わっという歓声が、見物人の輪から沸き上がった。より若いほうの男が、牛をも倒しそうな鋭い回し蹴りをばく転により辛うじて交わしたのである。
男はすぐに攻撃に転じ、低い姿勢から相手に足払いを駆け、年上のほうは、軽く飛び跳ねてそれをやり過ごし、頭の背後に両手をついてブリッジの姿勢から、躯を空中に持ち上げた。複雑に絡み合った腕の筋肉がはっきりと浮き上がった。
「すごい::」
隣で腰を降ろして見ていた少女が、低い感嘆の声を上げた。」
ぼくはそこで美人の少女バルバラと出会うのだけど、ファニータにばれると怖いので、それはまた別の機会に書こうーと。
ともかく、新宿で、ぼくと風樹さんは副理事長の塩見正太郎さんにあれこれ教わりながら、苦しく楽しく初心者コースをどうにか全うした。
次に始まった中級者コースには、小学生も中年のおやじさんもいて、ホーダ(円陣)を組み、ポルトガル語で歌をうたい、一対一の対決をしてゆく。
空手や柔道の重要要素が日本語なのと同じく、カポエィラもポルトガル語を使う。
カポエィラができるようになると、ほんとかっこいい!
サルサもいいけど、こんなラテンもある!
ケ・テ・バーヤ・ビエン!