ベネズエラより第4報です。
今、ぼくはテレビでオリンピックの開会式の録画を見ている。実はベネズエラでオリンピックを見るのは初めてではない。
最初はいまから20年前、韓国のオリンピックのときだった。ぼくはあのとき、ジャングルに囲まれた街、Ciudadad Bolivarで100メートル走の決勝を見ていた。ホテルだった。ベネズエラを経て、アメリカ、ヨーロッパ、アジアを回って日本に戻る途中だった。
ずいぶんと年を重ねたものだ。
そして、今、日本のオリンピックから遅れること44年、中国もオリンピックまでたどり着いた。
この開会式のセレモニーは国家が総力をあげて行っているだけあって、素晴らしくユニークで、国家の歴史を端的に表して、しかも意外性に満ちていて、感心した。歴史に残る開会式のセレモニーだろう。またこれだけの人を動員できるのも共産圏だからともいえるのかもしれない。
何年か前の長野の冬季オリンピックのちんけな、印象に残らない開会式とは違う。
さて、東京もオリンピックに立候補している。利権がらみだ、経済のためだけだと批判する人もいるが、ぼくは国家にも民族にも祝祭が必要だと思っている。同じような日々が続いて行くのではやりきれないのだ。
しかも子供たちの記憶にそれは大きく残るのである。
ひるがえってみて、個人の生活にも祝祭が必要なのだが、ぼくは残念なことに同じような仕事の日々を続けている。
朝の7時から夜6時まで仕事づけなのだ。
祝祭といえるのは、せいぜい、洗濯機の踊りぐらい。きゃつはついに家の壁にぶちあたり、壁のコンクリートをずいぶんとけずってしまった。
あーあ、これではいかん。来週は、隣の港町か、温泉か、ビーチのある保養所かに一泊して気分を変えてみようと思う。
バレンシアの街に突然現れた漢字です。