また盗まれちゃった
夕方、7時半ころだった。仕事で疲れていた。だがこの日はベネズエラについたばかりのA君の買い出しに付き合う必要がある。
住居そばのCM(Centro Madrense)なるスーパーに寄った。
駐車場にとめた車を降りて、スーパーへ走る。なぜ、走るのか?
この時間は込んでいる。レジに人が数人並ぶと、待ち時間は30分以上。ほとんどのベネズエラ人はカードで購入する。
そのカードのチェックに時間がたーんとかかるのだ。
だから、きょろきょろしながら、必要なものをさっさと購入する。
牛乳、みかん、肉、卵、ブロッコリ、にんじん、即席ラーメン、水……
購入品は10個以内にとどめる。10個以内購入者用のスピートレジがあるのだ。
さて、レジをすませて、車に戻ると、フィリピン人の同僚がエンパナーダ(肉やチーズの入ったパイ)を立ちながら食べている。
どこかにいっていた運転手が戻ってきて、車の扉をあける。車はフォードのExplorer。6人乗りの大型車両だ。
ぼくは前の席に乗り込み、フィリッピン人としばらくして戻ってきた新参者が後部座席についた。
まずはぼくの住居へ着く。
買い物のビニール袋を手に持ち、仕事用のカバンを足元にさぐる。
なに? 足元にない。
「あれ、ぼくのバックがないな。そっちに置いてある」
と後ろを向く。
「えぇ、バックがない。そういえば、おれのバックも― ない」
ない、ない、なーい、どこにもない。
買い物袋を持って外へ出る。そして車の中を調べる。どこをどうみてもバックは忽然と消えている。
「ちぇ、なーんてこった!」
フィリッピン人が驚きの声を上げる。
ぼくのバックの中には、コンピュータ、デジカメ、ウオークマン、電子辞書、もらった名刺、ノート、メモ書き、すべてごっそりとやられた。
フィリピン人の同僚はもっと悪い。TC、パスポートも入っていたのだ。
最後尾に乗っていたA君のバックだけはある。
車はすべてコンピュータン制御。ドアのカギはコンピュータでかける。エンジンをかけるにも暗証番号がいる。
だが、泥棒にはそんなものはおちゃのこさいさいに突破できるものだったのだ。
運転手が離れているほんの数分の犯行である。駐車場の警備員も見ていないのか、あるいはグルなのかもしれない。
運転手は、車の扉を丹念に調べて、「これこれ、この傷がある。針金だよ」などと役に立たないことをいっている。
ともかく、警察にいって盗難届を出す必要がある。
南米で東南にあったのはこれで3回目である。一度は、エクアドルのバスの中―そのときは、金、TC、カメラ、パスポートも盗難にあった。
キトからペルー国境へと急いでいたときだ。
そのときは、翌日にパスポートだけバスのターミナルに戻ってきた。
「ずいぶん紳士な泥棒だ」とエクアドル人たちが驚いていた。たぶん、バス会社とぐるだったのだろう。
2度目はブラジルのバイア、サルバドール。前日に飲みすぎて、二人組のシャンプー強盗にうまくリックを持ち去られたのだ。
(シャンプー強盗:シャンプーなどをつけて、なにかついているよ、といい、バックをおろしたすきに、もうひとりが持ち去る)
換金にいく途中だったので、あのときも、有り金、TC、パスポート、カメラを盗まれた。ひどいことに、警察はストライキ中で、盗難届も出せず、
リオまで、歌をうたいながら、金を稼ぎ、どうにか知人宅に落ち着いた覚えがある。
3度目の今回はまったく見事な手口。怒りも湧かない。やるべきことは経験からわかっている。
さっそく、PTAFOTAなる警察上上部機関に行き、手続きを聞くと、
「盗難状況、盗難品リストは、自身でパソコンで打って持ってくることになっている」
えー!
普通は警察が聴取し、それを書くのだが、ここは職務を被害者に押し付けるのである。
スペイン語もわからない旅行者だったらどうするのだろうか?
結局、翌日被害届を出し、ぼくはこの件は終了したが、フィリッピン人同僚はTCをとめたり、パスポートを再発行したり、一層苦労が多かった。
もちろん、仕事上のあらゆる情報を失ったのだから、ぼくの被害も甚大だった。
といって、刺激的だったかというと、そうでもなく、そのひと月後ぐらいに白昼ひったくりと対決したときのほうが、よほど刺激的だったが、
それは後日書きましょう。