ベネズエラのカーニバルについて書こうと思っていたが、予想とおり何も無い。
カーニバルのカの字もない。
そもそもぼくたちはカーニバル期間中働いたのだ。しかもきちんとベネズエラ人も来るのである。
あまりの非常識!
他の中南米では考えられない。
たとえば、ブラジル。ぼくが滞在していた当時は、カーニバルの前日から突然、飛行機を含めてさまざまな公共機関がストライキになった。おかげでリオ・デ・ジャネイロまで数千キロをバスとタクシーを乗り継いで、たどりつかなければならなかった。
ところが、ここベネズエラ第3の都市、バレンシア、ひたすら静かである。海へといってしまう人間が多いので、人の姿もまばら。カーニバルのパレードも何もない。
やっぱりここはラテンではないのだ。以前紹介した温泉の村、トリンチェーラの祭りに行ったときも、生バンドが演奏しているのに誰も踊らない。唯一、酔っ払った中年のおやじだけが一人で踊っていた。
ボリビア、ブラジル、コロンビア、そしてメキシコでも多くの人間が踊っているに違いない。
誕生日、これも盛り下がることはなはだしい。フィエスタでは音楽がかかれどもみな静かに談笑して、なんとなく帰ってしまう。
あまりにひどいので、日本人のぼくがみんなを誘って踊り、盛り上げるように配慮しなくてはならないのだ。
よほど日本の祭りのほうが盛り上がり、普段抑圧されている情熱がほとばしる。たとえばネブタや阿波踊り。
このベネズエラはとらえどころがなく、人も文化もあっさりして、数倍に薄めた水彩画のような国である。
そんなことが予想されたので、暇つぶしに、カーニバルの前々日に、ドイツ人村コロニアtovarにいってみた。
ここは1843年にベネズエラ政府の意を受けたイタリア人、Agustin Codazziがドイツ移民を引き連れて設立した村である。日本語ではここ
現在は、イチゴ、びわなどの果物、野菜類、ソーセージ、そして地ビールの生産地であり、ドイツ風の家並みが続くので、カラカスから60キロ近郊にもあり、観光地となっている。
標高1800メートル。フォードのエクスプローラーで、山並みを上ったのだが、途中でエンジンがかからなくなってしまった。
おかげで、途中下車。徒歩とヒッチハイクで村へ着いた。山道を歩いている途中、眼下の村から太鼓の音が、盛り上がっているのがわかる。
けれども20分ほどかかって下山し、村にいくとすでにお祭りの行事は終わり。スーパーマンやらゴリラやらに扮した子供たちが歩いているだけ。
いや、時々、オートバイが前輪を上げて、猛スピードで走っていたり、美しいドイツ系の女性が民族衣装で歩いているのも見ることができる。
けれども、修理のためのメカを探す、レッカー車を呼ぶ、帰らない場合の宿泊施設を探すなど、あれこれアレンジせねばならず、観光の時間がない始末。
修理工場までヒッチハイクをしたが、戻るときは、修理工場から壊れた車の場所まで、トラックの荷台に乗せてもらった。車から降りると、スミルノフ(ウオッカをソーダで割っている)を所望された。
酒場で買って、運転手にやると、その顔は真っ赤。そしてろれつも回らない。べろんべろんに酔って運転しているのだ。
カーニバル期間は何もない。酒だけは飲む。そして運転する。この期間に、友人の知人が2名、交通事故で命を落とした。
こんなもり下がるカーニバルで命を落としては、まったく浮かばれない。