コロンビアで新自由主義と、日本とベネズエラを考える


 ボゴタを経由して、ラテンアメリカの一大観光地といえるカルタへーナ・デ・インディアに昼についた。一見、小リオ・デ・ジャネイロである。

 20年も前に、南米、陸路一周をしたときは、コロンビアだけは訪れなかった。あまりにも危険だったからである。
 メデジンカルテル、パブロ・エスコバルの時代である。歩いているだけで、腕を山刀で切られて腕時計を盗まれるなどとまことしやかに旅行者の中で流布していたし、実際、ボリビアにきたビジネスマンが酒場で、
「コロンビアはくそだ!」
 とはき捨てたいたのを覚えている。
 
 それがここ10年で見違えるように変わった。国は政治による変わるおおきな見本である。

 ベネズエラと比べてではあるが、

 警察は信頼できる。(ベネズエラでは最近、また友人が金目当ての警察に誘拐された)
 人も信頼で、親切である。
 交通(エアポートなど)やその他の効率はずっといい。

 ベネズエラは偽装近代国家で南米で一番発展が遅延(それはそれでいいのだが)しているが、コロンビアは半先進国といってもいいかもしれない。

 2008年の殺人に関する数値をあげよう。(日本の自殺率と比較すると興味深い)

 コロンビアの殺人率は(10万人あたりの殺さる人)は、38
 ベネズエラの殺人率は、50と南米トップ

 肌の感覚だと、コロンビアの一般犯罪はずっと少ないと感じられる。ああ、20年間、ベネズエラは南米で一番安全な国だったのである。
ベネズエラの21世紀社会主義の惨憺たる状況をこの数値が叙述に示している。あるのは中身の伴はない標語ばかりなのである。
 チャベスはそれでも支持されるのだが、それには秘密がある(それはいつか述べよう)

 もちろん、コロンビアには貧困もあるし、腐敗もある。だがベネズエラのすさまじい腐敗とは比べ物にならない。

 コロンビアの大統領はアリバロ・ウリベ。親米、新自由主義の政権である。
 

 新自由主義がすべて悪いわけではないのだ。(実は新自由主義の最初の実験は当時ぼくが滞在していた、1986年ボリビアで始まり、とりあえず2万パーセントの超インフレを退治した)

 選択とバランスの問題である。

 留意点は、

 人、教育、医療である。

 人の自由化(日本では派遣労働)は奴隷労働につながるばかりか、甘い汁を吸った企業は合理化のための自助努力を放棄する。この面での象徴的な罪人は、日本経団連会長の御手洗富士夫だろう。ああ、いまだこんな薄汚い輩が会長に居座っているのが信じられないが。

 教育になぜかしらないが、ワタミ元社長の渡辺美樹が経営の観点から教育にかかわることをNHKをはじめ、多くのマスコミが好意的に伝えていたと思う。信じられない暴挙である。教育は収益で図るものではない。人に対する教育の効果がわかるのは何十年と先かもしれないのだ。

 さらに、医療での自由診療の拡大は、昔も今も当然あるのだが、金による命の値段の違いをさらに大きくすることだろう。これを推し進めているのは、政府にとりより自身の企業の利益の最大化を図るに長けている狐の生まれ変わりのようなオリックス会長宮内義彦である。

 それにしてもマスコミの体たらくはどうだろう。これらの人物に対するまともな批判はあまり見たことが無い。 

 別の話だが、願わくば、コロンビアのように、民主党政権が国をよい方向に変えることができることを、見せてもらいたいものだ。