単身赴任で熱帯病になる5


 ぼくはそのうち、疲労からうとうとしたようだ。
 
 気づくと隣に研修医がきている。

「点滴をやるよ。もう少ししたら、医者もくるし」

 というわけで、やっと点滴のチューブと注射がつながった。ひんやりとする液体が体内に流れていくのがわかる。

 時計をみると、6時過ぎ。医者は本当に来るのだろうか?

 この国ではまさに待つことだけが人生だ。

 マーケットでキャッシャーの順を待つ、ものが届くのを待つ、彼女からのメールと電話を待つ、レストランで注文した料理を待つ、飛行機が離着陸するのを待つ、そして医者を待つ。

待つ、待つ、待つー
 しかし待っても結局、現れないことも往々にしてあるのだ。

 そのうち気分が悪くなってきた。吐きそうな感じ。

 そういえば、子供のころはドライブにいくと必ずといって車酔いした。いまは船酔いだけだが、他の家族、子供たち、妻までよく車に酔う。子供は電車にさえ酔う。

 長男が5歳か6歳のときだろうか。都電にのって「少林サッカー」を見に行ったときだった。ドアのそばにたっていた息子はとつぜん、ドアにむかってげろをしたのだ。
 あわてて、父親のぼくはバックから出した新聞紙でその嘔吐物をあわてて拭いた。

 次の駅でほうほうのていで逃げるように降りた。乗客は半分ほど乗っていた。
頭にくることに、降車駅の東池袋のひとつ手前の向原の駅だった。

「ばかもん、気持ち悪いならもっと前に言え!」

 息子ははいて気持ちよくなったのか、すずしい顔だ。

 持つべきでないものは、車酔いする子供だ。

 箱根の山でもひどい目にあった。箱根の強羅から小田原まで、登山鉄道が混雑していたので、バスにのった。そのバスもやはり混雑していて、家族4人でのって、ばらばらにすわったのだが、急停車とカーブのせいで、最初に息子が気持ち悪くなり、次に娘が、そしてそれを見ていた妻が気持ち悪くなり、父親のぼくを除いて全員が白いビニール袋に顔を突っ込んでいたのだ。

 これを人よんで、げろ家族という。

 ぼくの脳裏には家族たちのこっけいでみじめな姿が浮かんだ。

 そして、けっしてその仲間入りはすまいと決心して、もっとも気分が悪くならない姿勢をとると、今度はその姿勢だと、注射張りを刺されている部分がひどく痛いのである。

 げろするか、痛みを堪えるか。

 ぼくは究極の選択に迫られた。