政治に矮小化された更迭

 朝日新聞は、4日付けの朝刊に「首相意向」で経産省原子力安全・保安院長、資源エネルギー庁のトップを更迭した、と半ば誤報を載せた。まさに朝日と管直人首相の最近の関係を物語るものだった。

 慌てて海江田経済産業省は「私の考え。人事権は私にある」と記者団に強調した。

 茶番劇である。更迭まではいい。けれども、以下のような順送りといわれる人事にどれほどの意味があるのだろうか? 残念ながら、改革派はアウトサイダーのままだ。

経済産業省事務次官: 松永和夫氏(59)→安達健祐経済産業政策局長(59)
原子力安全・保安院長:寺坂信昭氏(58)→深野弘行商務流通審議官(54)
資源エネルギー庁長官:細野哲弘(58)→高原一郎中小企業庁長官(55)

 組織の一新は遠のいたように見える。もちろん、トップに立つ人間は、もしかしたら環境に応じて君子豹変するかもしれない。その可能性は低いとはいえ、エネルギー政策の転換は不可欠なので(原発は新設できないのは誰が来ても同じだろう)、発送電分離などの自由化政策にどこまで踏み込めるか注視する必要がある。

 それにしても、海江田さんは、完全に役人の操り人形でしかないように見える。管首相のほうは先に手を打たれてしまったし、閣僚の統制が利かなく、権力が削がれている。力を回復する手立てはないのか?

★政治家がまず責任をとれは間違い

 ところで、政治家がまずやめろという議論があるが、それは意味がない。
 東電が天下り先の提供で、官僚を支配していた。政治家は政策で官僚に支配され、金と票で東電に支配されていたのだから、まずは官僚がやめることに意味がある。政策を作ってきたのは残念ながら政治家ではなく官僚なのだから。

 そして官僚の支配は、昨日のNHKの特集で放映されたように、たとえ長崎に原発が落とされると知っていても、彼らは何もしない。2発目の原爆が落とされるのを悠然と見送るのが彼らの仕事だ。それは今も同じ。官僚支配では原発でも同じ過ちを繰り返すことだろう。
 さて、次の福島はどこだ?
 そして、原子力安全委員と文部省はどうする?

最大の避難所と、一見官民格差に見える飯館村仮設住宅
愛! フクシマの黙示録