偽善者たちのバカ踊り

latinos2011-08-30


 首相が決まったけど、少なくとも海江田さんよりはよかったね。彼はほんとただのおべっか使いの操られ人形とますます世間にその姿を晒してしまった。小沢さんに忠誠をつかっていることを示すために、わざわざ、「野党との合意を反故にする」みたいなことをいうのだから。不徳の極みだな。

 小沢さんというのは不動産と利権に目ざとい、選挙コンサルタント。それが純然たる力を持つ政治とは早く断ち切ってほしい。
 原発の立地とは、まさに親分の田中角栄的なものによって推し進められてきたのだから。電源3法を作ったのも田中さんだからね。

 以下、『愛! フクシマの黙示録 第三話』から、時間を50年前に戻してみる。主人公の良太の作る、しょうもないブログだ。でも、田中さんや小沢さんのにおいがぷんぷんしてくるだろう。

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福島第一原発誘致でバカ踊りした役者たち

 さあ、みなさん、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい、原発誘致の役者は誰か、みんな知らない、ぼくだけ知っている、もったいぶらずに教えちゃう。その前に、これだけは知っておこう、いまから50年前の福島県浜通りの物語。
 福島第一原子炉の敷地の一部は何だった? 実は特攻隊訓練の飛行場、まるで今の原発事故収束のための決死隊。その後一体何になった? 戦後はある政商に土地は払い下げられ、その人、塩田事業を営んで、事業は大大失敗。塩田周囲の土地は荒れた農地で、みな出稼ぎで糊口を凌ぐ、中には土地を捨てる住民も。

 さあ、その頃日本は、原子力平和利用で大賛成、ほら君も見ただろう、鉄腕アトム
 過疎の町は、何かいいことないかしら! 
 そんな中で、こんな役者たちが踊り狂ったんだよ。

▲木川田 一隆 主人公 これが福島第一原発を誘致した当時の東電の社長だ。

 明治32年(1899年)福島県梁川町生まれ。昭和52年(1977年)没。東大経済学部卒。東電社長(1961〜1971年)。1963年経済同友会代表幹事。
 論文や口では「企業の社会的責任」を唱えたので、哲人的財界人などと持て囃され続けた。人のいい経済学者はころりと騙されて、いまだ信奉者が多い。口やかましい評論家の佐高信さんでさえ、「木川田精神を失った東電の変質」なんて書いている。でもちゃんちゃらおかしい。

 この良太の目はごまかされない。実業家は言葉ではなく行為で判断。事業を見聞する限り、「わが言を聞け、猥なり。わが行を見よ、正しい」(ローマ帝政時代のストア派哲学者セネカ)の言葉と逆で、「わが言を聞け、正しい。わが行いを見よ。猥なり」が当てはまる人物。
 福島と新潟に不透明な土地取引の後、原発を誘致した。しかも欠陥原発! とんでもない食わせ者だったわけだ。善意があるように見える人間ほど、注意が必要な例。君らも気をつけよう、甘い言葉と振り込め詐欺

▲堤 康次郎 悪役1 これが塩田事業を営んだフィクサーだ、それにえらいエロ野郎! (彼女がいないぼくにはちょっぴり羨ましいけどね)

 1889年(明治22年滋賀県愛知郡愛荘町生まれ。1964年(昭和39年)没。早稲田大学政治経済学部卒。国土計画・西武グループ創業者。西武デパートとかパルコとか西武線とかプリンスホテルなら聞いたことあるだろう。
 でこの人、20年以上も衆議院議員で、衆議院議長(昭和28年)にまでのぼりつめた。土地売買ではあくどい行為を行い、多くの人間に恨まれていたとさ。女性関係が派手で、女中、部下、乗っ取った会社の娘たちなどすべてお手付き。
 様々な女性の間に100人もの子どもをもうけたといわれるので、滋賀県大津市名誉市民となった。草食系と揶揄されるぼくらには、遠い遠い存在。見習いたーい、って本音♪〜♪。

▲木村守江 悪役2 これが地元の悪役だ。木川田社長とは同じ医者の息子で昵懇。

 1900年(明治33年)いわき市生まれ。1996年(平成8年)没。政治家。慶應義塾大学医学部卒。1958年の第28回衆議院議員総選挙で旧福島3区から出馬して初当選(自民党)。以後3期連続当選。福島第一原発を誘致した佐藤善一郎福島県知事急逝後の知事選挙で当選。その後、4期連続当選。福島県は木村王国といわれた。
 県の開発は道路建設原発誘致が信条で、なぜか「県民の健康が第一」といっていた。福島第一原発を立地、第二原発立地を誘致。東北電力による浪江・小高原発誘致も試みたが、浪江の一部住民の強い反対運動に合い、実現できず。1976年土地開発に絡む収賄罪容疑で逮捕され、知事を辞任。1979年、仙台高等裁判所で懲役1年6ヶ月、執行猶予5年の判決が確定して、公選知事としては不名誉なことに初めて収賄で有罪となっちゃった♪〜♪。

▲佐藤善一郎 すぐに死んだので端役。これが福島第一原発誘致を決めたときの県知事
 1898年(明治31年福島市出身。1964年(昭和39年)没。衆議院議員の後、福島県知事。福島第一原発を誘致した。

▲田中清太郎 狂言回し1 これが日本一原発を愛した町長だ。

 生年没年不詳。双葉町長を22年間も務めた。田中建設社長。木村県知事と同様に道路建設原発誘致に奔走し、「町民の健康が第一」と言って総合病院を建設。全国津々浦々、他の自治体に何度も行脚し、「原発は素晴らしい」「愛せよ、原発」と勧めていた。こんなふうに。
私は結論的にいって、石油よりも、石炭よりも、原子力の方がずっとよかったと思っている。原子力は石油、石炭よりもはるかに美しい」(「地域振興と電源立地」京都府久美浜町 昭和57年)。原発立地促進功労者として、昭和57年内閣総理大臣賞を受賞。いよー、胸を張れ、田中清太郎!

▲志賀秀朗 狂言回し2 なんと、元東電社員が大熊町の町長だった。
 1931年(昭和6年)生まれ。存命。原発を誘致した志賀秀正町長の2代目で、東京電力社員として10年前後勤した後、父親の後を継いで町長に。5期20年、2007年まで町長を務めた。やっぱり原発を愛していた。「東京電力の共存共栄の歴史だった」「私の人生は、3月11日をのぞけばよかった。こういう事態になって残念だ」現在、関東地方に避難中。何を悔やむ、志賀秀朗!

 さてさて、次回は土地価格の怪ってタイトルで書くからこうご期待!

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★解説1

 福島第一原発の土地売買の価格についても疑惑が見つかったのです。その点は次回に書きましょう。土地の価格は別として、この当時の人間を強く責めるのは少し酷かもしれません。だから、拙著には、以下のような場面をつくりました。

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「あの、ベントだって実際は失敗したって言われているわ。だから爆発したのよ」
 愛ちゃんはそういってから、ぼくを正面から真顔で見て続けた。

「でも今になって変だと思わない? 過去にはアメリカのスリーマイル島、次は旧ソ連チェルノブイリで大事故があったのに、なんで地震国の日本で原発が54基もどんどん作られたかって。同じ地震国のチリでは地震があるから原発は作ってない、そのかわり水力発電で自然破壊とか問題になっているって何かのニュースで見たことあるわ」

 確かにおかしい。地元が金だけのために、こんな危険なものを誘致するのだろうか? 

「うーん、そうだよね。ぼくは、昭和30年代とか40年代初めに、もし、自分が過疎の町の町長だったらどうだったろうって想像してみたんだ。正直いうと、きっと原発誘致の話にのったと思うんだ」―それどころか、白状すると、ぼくならば、きっと周りに吹聴していただろう。

「おれが根回しをして国や県を動かしたんだ! (すごいだろう!)」って。
 そう頭の隅っこで思いながら続けた。「でも、世界的な事故のあとだったら、作るのはどうかと思うね」

 後に原発ムラと呼ばれるグループによる、全国民への洗脳が強力に行われたのだろうとは推測できる。政治家には金と票、官僚には天下り先、マスコミ、学者、芸能人には金をちらつかせたのだろう。それでも全国民が原発の危険を顧みることがなくなったのは、何かおかしい、解せない。人間ってそんな簡単に洗脳されちゃうものなのだろうか?

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★解説2
 文献を調査していて、もっとも謎なのは、原発大嫌いだった、東電社長の木川田さんと、上記には出てこないが双葉町原発強硬反対派の岩本忠夫さんが、急に変質をして、原発大好き、になってしまった点です。岩本さんは田中町長のあとをついで、一層強力な原発政策を推し進めるのだけど。
 この岩本さんには、戦後の日本が凝縮されて投影されていると考えるのです。
 
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