欠陥原子炉と燃え盛る反原発のうねり

地元浜通りの人々はなにも田中長町のようなおっちょこちょいのバカものばかりではない。むしろ、今の惨劇が来る日をうすうす感じていた多くの予言者がいたのである。
 以下の年表にあるとおり、浜通りでは、GEの設計者などよりもずっと早く福島原子力発電所1号機が欠陥品だと気づいていた。

以下「愛!フクシマの黙示録 第6話」―欠陥原子炉と燃え盛る反原発のうねりーからの一部引用です。

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1971年 (昭和46年)
3月26日 福島原子力発電所1号機、営業運転開始
5月27日 東京電力?、原子炉の欠陥問題について「危険性はない」と発表
5月27日 富岡町議会、原子炉欠陥問題で原子力問題調査特別委員会を開催
6月28日 福島原子力発電所1号機、復水器真空低下のため原子炉自動停止
6月29日 大熊町議会議員全員協議会、原子炉欠陥問題で開催

 GEの設計者が欠陥に気がついたのは、浜通りの住民に遅れること3年。1974年である。
「Mark1は、Mark2やMark3に比べ、格納容器の大きさが6割しかない。冷却機能を喪失すると、想定以上の負荷がかかり破裂する可能性がある。さらに格納容器内の構造が複雑すぎて、配管にしても圧力抑制プールも狭い中におさまっている。Mark1の操業を止めるべきだ」(GEのMark1設計者 デール・ブライデンボー)
 ご覧のとおり、Mark1は欠陥の名に恥じず、故障につぐ故障、放射能漏れにつぐ放射能漏れ、隠ぺいにつぐ隠ぺい、停止につぐ停止。
 すなわち、燃料棒の燃料被覆管が次々と破損し、原子炉プールに放射性物質が漏れ、原子炉建屋周辺は放射能汚染がひどく、作業員も修理作業を短時間しかできない。さらに冷却系配管にひび割れが次々と発見された。

1972年(昭和47年)
4月10日 福島1号機、蒸気圧力調整器誤作動。原子炉自動停止
4月28日 福島1号機、蒸気圧力調整器誤作動。原子炉自動停止
12月22日 福島1号機、原子炉再循環ポンプ制御装置故障。原子炉自動停止

1973年(昭和48年)
1月28日 福島1号機、原子炉再循環ポンプ制御装置故障。原子炉自動停止
6月25日 福島1号機、地下廃棄スラッジ・タンクから放射性廃液をくみ上げ濾過処理中、濾過処理装置のドレン弁が閉止不完全。床面、建屋外に放射性廃液漏えい。
6月26日 県、福島1号機の放射性廃液の漏えいに関し、立入調査を実施
7月2日  県、東京電力対し福島1号機総点検など適切な措置を要求
7月7日  科学技術庁、通産、放射性廃液漏れ事故に関し改善命令
10月8日  通産省、福島2号機核燃料制御棒の上下逆取付けの修正指示

「燃料破損は、放射能の高い核分裂生成物が、原子炉水中に漏れ出て原子炉まわりの保守点検作業時に被曝が大きく、作業が困難となり、短時間で作業員の交替が必要となった。また、原子炉水に放出される放射性希ガスが原子炉1次系及びタービン系の弁などから漏れ出し、建屋内の放射性レベルが突如として高くなる現象が見られ、その漏れの場所を調べるため、ビニール・カーテンで間仕切りしたり、テープで密封するなどして、順次測定箇所を絞り込む方法を採るなど大変な苦労があった」(東電の原子力発電の地元責任者豊田正敏)

 あまりにも線量が多いので、東電社員はまもなく原子炉周辺の作業は拒否した。東電の組合は会社と交渉し、それらの危険な作業は基本的に下請け業者の作業員に押し付けることにしたのである。
 こうして、初期の被曝労働は、浜通りの地元の作業員が担った。被曝量が多いと分かった後は、彼らも危険な場所での作業には尻込みした。そこで、福島県の中通の住民や、山谷や西成の日雇い労働者を募集した。危険な場所の作業は、山谷と西成の日雇い労働者を充てるのが最適だった。もしも癌や白血病になっても、闇に葬るのは簡単なことであった。下請け作業員は次々に被曝したが、それらは慎重に伏せられた。けれども人の口に戸は立たない。まれに国会などで暴露されることがあった。

 第一原発が欠陥であるとわかると、第二原発敷地予定の楢葉町や隣の富岡町では強い原発反対運動が沸き起こった。社会科の教師を中心に「公害から楢葉町を守る会」や「相双地方原発反対同盟」が結成された。第二原発の誘致は、第一原発のように容易ではなかったのだ。第二原発の所長となった豊田はこう回顧している。

「敷地に隣接する富岡町の毛萱地区では集落をあげて強い反対があり、足を踏みいれることも出来なかった。富岡町の議員の中には原子力発電に強力に反対する社会党及び共産党の議員もおり、楢葉町の議員の中にも共産党の議員がいた。しかし、こちらの方はしばらくして「俺は楢葉町共産党員だ。地域の発展を考えてくれるなら反対しない」と言ってくれた。また、両町在住の高校の先生を中心に、『公害から楢葉町を守る会』、『相双地方原発反対同盟』などを結成し反対運動が繰り広げられた」

こうして東電と地元の闘いが繰り広げられ、東電内に地元やマスコミの一部からTCIAと呼ばれる組織が形成されていくのである(続く)

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★本日の東京新聞に「荒川区だけが放射線を測定しない」と特報記事欄で掲載されました。実は区長や教育委員と7月にはあれこれ話しあっていました。ローカルな話題なので、書かずにいましたが、明日、荒川区とのやりとりを公開します。荒川区民は必見です。また都民の方も。最終的には区長のリコール運動しかないかと考えています。

★「愛! フクシマの黙示録」が携帯BESTHIT books恋愛部門人気1位になりました。現在出版社は不況で委縮しており、小説を出した過去がないぼくには敷居が高く、紙で出版するには、まずは電子書籍で売れることを見せつけねばならないようです。

★「震災先駆けホームレス」がまもなく脱稿です。全国ホームレス行脚のノンフィクションです。これは震災後の日本人への予言の書となります。