ドーハで被爆する

風が吹いている。砂嵐。目にはサングラス。顔にはマスクが必要だ。風速50キロの風が ペルシャ湾から吹き付けてくる。
 ぼくは海外では風とは縁が深い。
 アマゾンで住んでいたときの村の名はChochis, 先住民の言葉で「憤怒の風」という意味だった。背後にある先史時代を思わせる岩山から激しい風が吹きつけてきた。
 今回は海からの風で、より激しく、より頻繁である。
 おかげであっという間に喉を壊した。マスクを通して砂粒の粒子が喉の奥にまで侵入してくる。おまけに寒い。セーターとジャンバーがなければ外にはいられない。部屋の中ではストーブをつける。
あっという間に風邪をひいた。

  そんな中で、健康チェックに送られた。

 数日後に結果が出た。
 再検査だという。
 なんの検査かもはっきりしない。
 どうも、胸のレントゲンらしい。
 影がうつり、結核だとして、帰らされる労働者がたくさんいる。
 今引いている風邪のせいではあるまい。調べるのは伝染病の類である。
 思い当たる節がある。
 15年ほど前に千葉大学の検査で
「一度、知らずに結核になって、なおっている影がありますね」
 といわれたことがある。その後は、日本での検査ではいわれたことがないが。

 ぼくは、アマゾンにいたときに、一度高熱を出し、その後、旅行にいくことで無理やり治したことがある。きっとあのときのことだろうと思っている。
 ある事情通が解説する。
「ここのレントゲンは古いから、治癒した影なのか、進行中のものなのか見分けることができないんですよ。だから、古い痕が見つかっただけなのに帰されることがある。よほど地位が高いと別だけど」
 さて、ぼくはさほど地位が高いわけではない。
 
 再び、同じ検査機関に戻らねばならなかった。
 今回は胸部レントゲン検査のみ。
血液はきれいだったわけだ。
 胸だって、純白、純潔のはずなのだが…。

 それなのに、またも上半身裸にされ、しかも何度も何度前から後ろからとりなおし。同じレントゲンを使っている限り、結果が変わるわけがない。必ず黒い影がうつるのだ。
検査官はフィリピン人の女性ふたりだ。写真をみて、「もう一度やって」という。3度目の撮り直しになる。
「ぼくにこれほど被ばくさせたいのか。もう終わりにしよう」
 ぼくの拒否により、再検査は終わった。 
 その日、ドーハから帰る途中、砂嵐で何度も視界が遮られた。
 翌日から、ぼくは微熱に苦しめられた。続く