金持ちならよい機材を買ってくれ

 結局、予測とおり、旧式のレントゲン機械では同じ結果が出た。すなわち、2、3日たって、今度は注射が必要だといわれた。なんの注射か? と聞くと、「感染の強さを調べるんだ」という。何か要領が得ない。

 結核について調べてみると、今はQFT検査が日本では一般的らしい。これだと、BCGの影響を排除できるのだという。さて、カタールでもこの検査で血液を調べるのだろうか?

 今回、再検査には、同じ場所で働くフィリピン人といっしょだった。自然フィリピンの話になった。
「フィリピンも変わっただろうね」
「いつ来たの?」
「もう20年近く前」
「仕事?」
ケソンシティの友達のうちにとまっていたんだよ。ところで地震のあったバギオはどうなった?」
「いい街だよ。ずっと前だからもうとうの昔に復興している」
「マノ―ロスのブストスダムは?」
「ああ、あのダムを作ったの? ずいぶん前だよね」
「ああ」
 実はフィリピンでディラ―と組んで金鉱持ちのイスラム教徒を相手にバカラをやって、勝ち続けたのである。手の組んだイカサマ博打・・・。最後である番狂わせがあって、数百万円の負債を抱え込み、イカサマディラ―に軟禁されていた。
 その博打の場所がバギオ、そして軟禁されていたのが、マノ―ロスだった。
 もちろんそんな込み入った話はしない。
 さて、注射である。
「不安だね」
「QFT検査だと思うけどな。それともBCGかな」   
 だれかが腕にできた赤班の大きさを測るといっている。懐かしいBCG、つまりツベルクリン反応なのかもしれない。


 さて、順番がきて、検査室に入る。白衣の女性が二人。
「血をとるの?」
「いえ、PPDよ」
 PPDってなんだろうか?
 左腕を差し出す。目をつぶる。チクリという感触。
「かいたり、石鹸なんかでこすらないで。二日後に再検査になるから」
 検査室を出る。多くの人間が待っている。
 先に終わったフィリピン人が腕を見せた。
「フィリピン人の看護婦はこれを超えるとだめだっていってたよ」
 そこには赤く書かれた直径2センチあるかないかの円。ぼくも腕をみると同じ円があった。
「なーんだ、やっぱり、ツベルクリン反応だ」

さて、2日後。ぼくの腕には、逆に心配になるほど、赤い点などさっぱりできない。まったくぼくの肺は純白で結核のけの字もない。BCGで植え付けられた免疫もなくなっていることを示している。
 フィリピン人の友人は、「ぼくはこれぐらいになったよ」、と0.6ミリぐらいの直径の赤斑ができている。だが、それでも陰性だろう。

 再び、ぼくは2時間近くかけてドーハの政府の医療検査場へ。
 インド人、フィリピン人らと混じって、医者の検査を待つ。検査といっても、腕の斑点の大きさを見せるだけである。
 つまり、ぼくも同行のフィリピン人も陰性と判断されたわけだ。
 まったく、無駄な検査で一月半も過ぎたのである。

 大金持ちなのだから、最新のレントゲンを買いやがれ!

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★さて、結核の疑いも晴れたので、夜のドーハを散策しました。写真は「踊るアラブ人」。スーク・ワキーフの広場で、ライブのバンドがアラブ音楽を奏で、ずいぶんと盛り上がっていました。ちなみにワキーフとは、イスラム教で「アダムとイブが再会し、罪を許された場所」を指すようです。