ユネスコの無形文化遺産記念 カリブを席巻する寿司ブームの正体

 今年は、ベネズエラ、ドイツ、ウィーン、チェコのブルーノ、イギリスのニューカッスルと世界のあちらこちらを訪れることができた。


 70年代後半から留学、駐在、出張で外に出てきたが、株式の罫線のような日本のプレゼンスの波を肌身に感じてきた。
 80年代は↑ 90年代後半から今までは↓ だ。

 ところが、ずっとプレゼンスを上げてきたものが唯一あるとすれば、和食。とりわけ寿司

 かつて海外にある和食レストランは、日本人の職人が働く、日本人駐在員や地元の通の人間が通う場所だった。だから、寿司も日本と遜色のない質を保っていた。

 ところが、最近のベネズエラキュラソーなどのカリブ海諸国で進行している爆発的寿司ブームはまったく違う様相を呈している。和食がユネスコ無形文化遺産になる数年前から、日本の文化とは相いれない変態寿司が跋扈しているのだ。

 たとえば私の住むベネズエラバレンシアの町の和食専門店はここ数年のうちに4軒から8軒へと増え、他に和食と無関係な、イタリアンや洋食カフェバーにも必ずや寿司のメニューを置いてある。
 
 ここは日本と関係の薄いベネズエラ。寿司を作るのはベネズエラ人だし、客もベネズエラ人。他の中南米と比べて、日本への興味も薄く、評価も低い。

 われわれ日本人は、愛憎のこもった眼差しで、「チーノ!」と呼ばれる。私の助手の大学生のガブリエラなどは「寿司なんてゲボ、あーんな生もの吐き気がする。和食なんて絶対いかない!」と手厳しいどころか、まったく和食をバカにした態度だ。

さらに寿司屋の主なメニューは巻き寿司だが、その命名もふざけている。Kikkoman, Sensei,Yakuza, Samurai, Godzillaはまだしも、Tsunami! 

 そんな国でなぜこれほど和食=寿司が流行るのか? 思い起こすと、かつて訪れたオランダに属するキュラソー島やアルバ島でも、黒い肌の職人が寿司を巻いていた。もしかしたら、カリブ海諸国に寿司旋風が吹き荒れているのかもしれない。好奇心に駆られた私は、ベネズエラキュラソーの寿司屋を取材することにした。

 さて、ベネズエラバレンシアのTakasushi




 温緑茶を注文すると、なぜか分からないが徳利に入って出てきた。それをなぜかおちょこで一口ずつ飲む。ところが、ぶっ! と思わず吐き出した。砂糖、レモン入りだ。

 何を注文したときか忘れたが、イリコと思ったら、しゃりの上にあるのは、なんと、ふざけるなのイチゴジャム! カニといわれているものは、すべてカニカマだ。握りを注文するにも、種類が少なすぎる。まぐろ、サーモン、ティラピア、たこしかない。うーん何か違う。

 
  
Combo Especial(実勢価格千円=五〇〇Bsf)。

 それは、人気No.1のOponopono(=ハワイ語で、祈りに関係する言葉。スパイス入りマヨネーズ付け海草、サーモンとエビ天ぷら、カニカマの細切れに辛し入りハチミツかけ巻き寿司)とVolcan(エビ天、カニカマ、クリームチーズ入りハチミツ付けのエビパイの巻き寿司)、

 そして味付けワカメ他の超混ざりもののてんこ盛りで成り立っている。その佇まいは、とても寿司には見えない。まるで海中の美しい森のようだ


 その後、私はキュラソーに飛んだ。和食だけではなく、ホームラン記録を塗り替えたココ・バレンティンの取材も兼ねていた。

 
 水曜日の夕刻、野球場から直接、郊外のPromenade Shopping Centerにある寿司屋を訪れた。人口一六万五千人のキュラソーには寿司屋が六軒あり、うち一軒はカラカスの老舗和食レストランのアビラ亭―日本人経営で日本人の職人と仲居がいる在留邦人と通のための店―の支店EMATEIだが、知り合った郷土史家に「老舗のSushi Cravingが一番さ」と勧められたのである。

 店は百人が収容できる広さで、しかもゴージャス。ところが、驚いたことにカウンターの中で笑顔で迎えてくれたのは、三人のうら若い女性だ。

 女が握るのか! 邪道だ!

 男尊女卑からそう考えたのではない。科学的根拠がある。ベテランの寿司職人は握るときに掌の温度が十度以上も下がる。するとシャリは適度に締まり、ネタの味も損ねることがない。女性の場合は生理的条件から、その温度変化が不可能なのだ。

 こんなふうにおれはカリブの寿司をバカにしていたが、帰国後、その寿司どもにおれは思いもかけぬ報復を受けることになったー

―― さて、上記は抜粋です。続きは、「新潮45」2月発売号(3月号)に掲載予定です。
 和食の海外進出の参考になった書籍は、「和食の知られざる世界」

私の「東京ドヤ街盛衰記」も忘れないでね。

 では、みなさん、よいお年をお過ごしください。今年はワールドカップイヤー。明日、ぼくは天皇杯、最後の国立を見届けてきます。