さらば国立!



 国立で最後となる天皇杯サンフレッチェ広島VS横浜マリナスに行ってきました。この球場は79年にマラドーナが世界に羽ばたいところです。たまたまそのとき、私はスペインチームの通訳。対日本戦は、互角でした。尾崎、水沼、風間が10代で出場していたころです。

 ― 以下、「通訳はつらいよーマラドーナデビューする」よりー

 すり鉢場の底のフィールドには、サポーターたちの大声援が敵意のなだれとなって、スペインの選手と我々のいるベンチに押し寄せてきた。
 ニッポン、ニッポン、ニッポンチャチャチャ、の中に背中からエスパーニャ、エスパーニャという声が微かに聞こえてくる。

 スペインは苦戦した。前半は強さと早さは日本のほうが上のようにも見えた。もちろん試合運びと技術ではスペインが勝った。普段は物静かなサンタマリア監督が私のすぐ横で大声で指示を出している。それも遠い選手たちに伝わる前に大声援の前に掻き消されてしまう。

「スニガ、もっとあがれ、マリアン、右を使え右を、マルコス、そこはホアキンに蹴らせろ! テンディージョ、サイドをもっとケアさせろ、あー、神様!」

 スペインベンチでは何度か悲鳴が上がった。

 後半すぐに風間の決定的なシュートもGKアグスティンに弾かれた。一進一退だった。
 後半一七分、ゴール前でホアキンや右ウィングのマリアンにボールを左右に振られ、日本の一瞬の空きをスニガがついた。ふわりと浮かしたボールがあざ笑うようにキーパー鈴木康の頭上を超え、ゴールの中に落ちた。

 会場はシーンと静まり返った。

 あとは日本の猛攻をテンデイージョを中心のデフェンスが耐え忍んだ。闘牛士のマタドールが獰猛な牛をいなすようかのようだった。

 尾崎が拾い、水沼か風間が突進するという左右に角を立てた短調な攻撃は、すべて読まれてしまった。日本はあまりにもゴールに直進し過ぎた。メノッティが近代サッカーではもっとも大事だという知性が欠けていた。
 
 そしてホイッスルが吹かれた。スペインの選手たちはほっとした顔で戻ってきた―

 あれから、30数年。かつてワールドカップの予選しか強くなかったスペインは世界最強で、日本がワールドカップに何度も参加するのですから隔世の感があります。

 さて、天皇杯の試合は横浜 兵頭(だったと思ったが正解は小林)の切り込みに、広島3人のディフェンスが引きつられ、兵頭が潰され、この日何もできなかった斉藤のところに球が転がり、横浜が先制。それで決まった試合でした。
 その後、おまけでボンバーヘッドがキーパーのはじいた玉を押し込み、2点。俊介とともにベテランが目立った試合でした。

 さて、ワールドカップ、日本にはドーハの悲劇に次ぐ悲劇がなければ、これ以上の発展はありえないーという最も信頼できるサッカーライター杉山茂樹さんが、グループリーグを見とおしているよ。ぼくの本「東京ドヤ街盛衰記」も忘れないでね。