シャルリ・エブド襲撃事件の現場を訪れる(3)ー孤立していたイスラエル

国家的人権侵害、犯罪
 イスラエルがガザへ侵攻したのは、昨年、2014年7月から8月にかけてである。パレスチナ側の犠牲者は子供たちを含めて2000人を越えた。

 その非道さに、ヨーロッパ、アメリカでさえ、イスラエル嫌悪の感情が芽生え、国連人権委員会は非難決議を行った。戦争犯罪さえ取りざたされているところに、パレスチナ国際刑事裁判所への加入が迫っていた。パレスチナ国際刑事裁判所へのイスラエル提訴の可能性が語られ、それはアメリカのネオコンを大きく刺激していた。

オバマとの確執
 共和党とそのネオコンにより、ネタ二エフの3月前半でのアメリカ訪問、議会演説が計画されていたが、民主党議員やオバマ大統領は欠席を表明していた。また、オバマ大統領と、イスラエル ネタ二エフの間では、イラン核問題への認識に大きなずれがあった。前者は交渉で、後者は軍事的解決を目指していた。
 イスラエルは国際的に孤立していたのである。

180度転換したイスラエルの立場
 最終的に国連により、国際刑事裁判所への加入が認められたのは、シャルリ・エブド事件の前日の1月6日である。
そして、シャリル・エブド事件とユダヤ人専門食品スーパーへのテロが、イスラエルの国家的テロ犯罪への注目を消しさるどころか、彼らを、加害者から被害者の地位に押し上げ、かつテロとの戦いが中東、ヨーロッパにて鼓舞されることになる。

 彼らの立場は180度転換した。さらに、イスラエルの強い味方となったのが、われらが日本である。安部政権と外務省はこれまでのどちらかというと親イラン政策を捨て、ネオコンばりの親シオニストの態度を表明する。イスラエル国旗を背負っての、「イスラム国と戦うという趣旨のメッセージ」は、まさに日本外交の転換点であり、反アメリカ政府(オバマ)、親共和党ネオコンの姿勢を明らかにしたものであった。

 では、それはどのような国際環境下で行われ、いかなる国益を目指したものだったのだろうか? そしてそれは後藤さんと湯川さんの人質事件とどう関連しているのか?(続き)