シャルリ・エブド襲撃事件の現場を訪れる(2)

 シャルリ・エブド襲撃の二日後の9日、ユダヤ食品専門スーパーマーケットが襲われ、人質4名(ユダヤ人)が死亡した。実行犯のアフメド・クリバリ(32)は、このとき空港近くの印刷会社に立てこもっていたクアシ兄弟の解放を求め、自ら「イスラムスンニ派過激組織イスラム国(Islamic State、IS)のメンバーであり、シャルリー・エブド襲撃事件と協調して実行した」と語っている。

 そして、フランス特殊部隊が、ほぼ同時間(彼らの祈りの時間)に、ユダヤ食品スーパーと印刷会社に強行突入し、3名を射殺した。なお、クーリバリの内縁の妻は、危険人物として手配され、トルコを経由してシリアへ出国したことが確認された。


 一方、ユダヤ食品専門スーパーで、大勢の客を地下の低温室に導いて匿い、命を救ったのは、フランスが空爆しているマリ出身でイスラム教徒の青年ラサナ・バティリ(24 店員)で、彼は英雄となり、フランス国籍を早急に取得することになる。

もう一つの謎
 これがパリのテロ事件のあらましだが、まだ一つ謎が残っている。

「黒い覆面をした男3人がシャルリーエブド社屋に入った後、多数の銃撃音が鳴り響いた」という住民の証言や、生き残りの女性は、テロリストの一人は青い目をしていたといっている。それらが本当ならば、青い目のもう一人はどこに消えたのか? (容疑者3名のうち最年少18歳の犯人の義弟が警察に出頭し、犯行時には授業を受けており無関係であることが判明している)。
 最初の報道では実行犯は3人であったが、その後、この件に関する報道はぷつりと切れてしまった。

突如の主役の登場 ネタニヤフ
 この事件が死人に口なしという形で終了したあとで、突如として登場するのがイスラエルネタ二ヤフ首相である。「フランスは危ない。ユダヤ人はイスラエルに移住したほうがよい」と言い、しかも食品スーパーのユダヤ人の犠牲者の葬儀はイスラエルで行われた。そして、ネタ二ヤフ首相は、1月11日に行われた、表現の自由を求めるという「わたしはシャルリ―」の共和国大行進に他の国の首脳たちと、というよりも主役に近い形で参加した。

 このとき、支持率が15%まで落下していたフランスのオランド大統領の左隣に順にマリのケイタ大統領、選挙を控えるネタニヤフ首相、右隣にドイツのメルケル首相、欧州理事会のトゥスク議長、パレスチナアッバース大統領(ネタニヤフが来るというので、バランスを取るために急遽呼ばれた)がいた。

 なにやらこの事件に深くかかわるアクターたちのための行進であったかのようである。他に欧州主要国を中心とする40人超の各国首脳も参加したという(ヨルダン国王夫妻も参加)

失われた表現の自由
 「シャルリー・エブド」の次号は、表紙のムハンマドは緑色の背景に描かれ、「私はシャルリ」と書かれたパネルを持ちながら泣き、その上には「全ては許される」との文字が踊った。普段3万部程度の新聞が世界中で300万部発行された。(その後売り切れ、500万部売れたという)。

 しかし、これこそ重要なことだが、報道によれば、新聞社には、他のマスコミ、さらにフランス政府の資金援助が入り、皮肉なことに、ジャーナリズムの根幹とする自由が失われてしまったのである。「シャルリ・エブド」は、日本のいくつかの全国紙がそうであるように、政府機関紙の色彩が強くなってしまうだろう。

 そして、共和国大行進の一週間後の1月18日、これらの事件の名わき役ともいえる安部首相は、半軍事同盟を結ぶためにエルサエㇽを訪れ、ネタニヤフ首相と会談し、さらにアメリカの、ネオコンジョン・マケイン上院議員(軍事委員長)とも会っている。

 では、シャルリ・エブドのテロ事件までにイスラエルは国際的にどんな状況であったのだろうか?(続く)