偽情報の影響と福島の母親の声

 4月11日に20km圏外にある福島県内5市町村(飯舘村浪江町葛尾村の全域、および、川俣町と南相馬市の一部地域。対象は約3,000世帯・約10,000人)が計画的避難区域に指定された。
 5月23日に福島の親たちが、文部省に集まって、年間20ミリシーベルトの安全基準の撤回を求めた。そのときのお母さんたちの声をいくつかひろってみる。

「最初はY教授を私も信じていました。福島県中にきて安全だって講演をしたから、100ミリシーベルトは安全だっていうのを信じて、すごい線量が多かったときに地元に留まった人が多いんです。でももう私も洗脳は解けました。山形に疎開します」

飯舘村の隣の月館町から来ています。線量が高くて、家の隣の公園が2マイクロシーベルト毎時です。私の生まれは原発
ある富岡町です。わたしは原発は危ないと思っていた例外です。3月11日には家に帰って出来る限り水をため、回りの人に
『洗濯ものを干さないで』といって回りました。その後一週間子どもたちを家にかこってすごしました。今、学校にはカッパを着せて、
マスクをつけさせていかせています。ほかのおとうさんに『あんなまでしていて学校にくる子がいるよ』
なんていわれて『あれ、うちの子よ』っていいました。そしたらみんな凍りついていました」

「私、PTAの会長で、地域の子どもとかかわってきました。うちの子だけつれて、他の子を残して、その責任を放棄して疎開していいのかってずっと悩みました。
でもやっぱりこんな線量の高い所においておけない。そこで周りに、危ないから逃げてっていって歩きました。『県も国も安全だっていっているじゃない』って
みんな言っていました。でも悪い情報はあとからあとから出てきます。避難するなどというと、『そんなこといわないで!』『人がいつかなくなる!』
『客がこなくなる!』って言われて、言えなくなってしまいました。それもわかります。みんな元から住んでいる人です。農家、商家、生まれ育った町、
まわりとの関係性を捨てて、逃げるなんてほんとすごい辛いです」

「自然がすばらしくて美しい町です。私はきれいな蝶が好きです。山には野いちごやキノコがあって、そんななかで子どもを家の中にいれておくなんて、
もうできません。森も木も地も動物たちもいっしょに連れて避難したいです」
「けれども避難した後の生活がみんな心配しています。ある人は『わたしたちは捨てられた民だよね』といいます。あるひとは『おかしいよ、避難なんて、
どっかの宗教か政党の回しもの、県も国も安全だっていってるのに』といいます。でも、みんな普通のおかあさん、おとうさんです」

「PTA会長の職をなげうって逃げるのかって何度も泣きました。土地も友達も捨てられない。子どもたちもいやだっていう。その中で避難するのは
ものすごく勇気がいります。自分の町で、東京でいうようにみんなに『疎開しなきゃ危ない』なんていえません。そんな勇気はありません。
でも、もう限界です。私は札幌に疎開します」
 
 あれから6年が過ぎた。浪江町、川俣町と飯舘村の一部の避難指示は、3月31日に解除され、富岡町の一部は4月1日に解除される予定である。
 現在の国内避難民は約12万人だという。