ベイルートでシリア大使館にやっと辿り着く


フェニキア人の子孫は一筋縄ではいかない

 タクシーの運転手には国民性が凝縮されていたりする。レバノン人は半数は一筋縄ではいかない商人だという印象をもった。
空港ーベイルートは「15ドルでいいよ」、「シリア大使館、シリア難民キャンプ、150ドルでいいよ」、そう決めておいても、降りる時に
「20ドル」「200ドル」などとふっかけてくる。もちろん、国際商取引の信義に欠けるなどといって取り合わない。けれどもあとで駐在経験者
などが書いた本を読むと、同じような経験が書かれていた。商談が終了し、後日契約書をサインするときに、「この金額ではだめだ」とむし返
してくる。

 うーん、シリア人にはそのような印象はないのだが。


レバノン在住、シリア人は微妙な位置にある
 レバノン滞在中は何度かシリア人の友人の姉とWhatsApp(LINEと同様の携帯用ソフト)で何度か連絡しあい、彼女の家で会う約束までしたが、
「急病になった、ごめん」というのである。本当に病気なのか会うのを避けたのか.
 また、最初にとまっていたホテルのレストランの従業員はシリア人だった。反体制派が多い、イドリブの出身で、ダマスカスの大学で心理学を学んでいる
うちに内戦になり、ベイルートに移り住んだという。彼にはいつも水煙草を用意してもらった。
「北のシリアの国境にいきたいんだ。どれぐらいかかる」
「4時間かな」
「へー、そんなに、100キロ程度なのに」
「だって、トリポリで渋滞でしょ」
 往復8時間もかかってしまう。
「ぼくは中国とか日本とかアジアが好きだよ。夢は日本に行くことだけど、シリア人ということで入国ができない国が多いよ」
「ぼくは著述業なんだけど、話をききたいな。仕事は何時まで?」
「8時まで仕事、でも話はちょっと。ベイルートではなかなか話せないよ。シリア人の扱いは悪いし」
 彼は小さな声でぼそぼそと話し始めた。
「シリアは地理的な要所だから、いろんな国がとりたいんだよ。アメリカもロシアも。全部ロシアのものだっていっているよ」
 とても小声で話すので聞き取れない。
ベイルートでは教会とモスクがとなりあっているだろう。シリアもそうだった。宗教なんて問題なかったんだ。でも、今の大統領は方針をかえて、ほかの宗教に厳しく接し始めたし、それに将来をよく考えていない。シリアはとても富んだ国なのに」
 ベネズエラまで離れてしまえば、なんでも言いたい放題であったであろう。
 
 知り合ったレバノン人にシリア人に対して一般にどんな感想を持つか聞いてみた。
「シリア人はすきじゃないさ。ださいしね。自由ここほどないとか、まあシリア風の自由だろうけど。あと占領されているときにシリア軍は検問とかであれこれうるさかった。だからいい感情はないよ」
 長い内戦終了後、シリアはなかば軍事占領していたのである(1990〜2005)。


やっとシリア大使館に辿り着く
 レバノンに着いた翌日から、シリア大使館の連絡先を探した。インターネットに出ている番号に?したが、まったくの間違い電話だった。場所もどこにあるか不明だ。以前は街中にあったというが、今は郊外に出ているらしい。安全性の問題から隠匿しているのかもしれない。少なくとも公にはしていない?
 レバノン在シリア大使館の所在地を確認したのは、ベイルートを立つ前々日だった。
 シリア内戦後、ベイルートから30分ほどのBaabdaに移っていた。防衛庁などがある地域である。
 驚いた。レバノン軍に厳重に警備されていたが、シリアビザを求める人々の長い長い列ができて、領事館を兼ねる大使館内はごったがえしていた。
 聞くとビザ取得に2か月もかかるという。アメリカから来ている夫婦のうち奥さんが親切にシリア大使館の人間にとりついでくれた。「夫はアメリカ人だから、ビザが必要なの」
 という。
 これまで明確でなかった国内の移動については、レバノン北部国境付近への移動はレバノン防衛相の許可が必要なことが判明した。東のダマスカス方面への移動は自由だった。だが、私の計画は北である。ビザ取得の時間と合わせて、シリアの土を踏むことはできそうもない。無理はしない。
 その代り、目的をシリア大使への取材依頼にした。秘書官がレターを書いてというので、取材目的、背景などを早急に書き、こんなこともあろうと用意してきたベネズラのシリア人の友人たちと写っている写真を添付し、秘書に渡した。「今日これから会ってくれ」という無理な依頼である。
「成否はあとで電話連絡する」とのことだった。


戦争を記念する無残なビルの写真ととっていると
 大使館を出て気づいた。すぐ隣に無残な高層ビルがあった。イスラエル空軍による機銃掃射かミサイル攻撃を受けたのだろう。ビルはずたずたで穴だらけ、夥しい高射砲の砲筒がにょきにゅきと空に向かっていた。しかも戦車や装甲車が破壊されたビルの中に埋め込まれていた? バチバチ写真を撮っていたら、まじめではりきっている若い兵士に呼び止められ、その上司に密告され、カメラから写真を消すはめになった。以前は写真オーケーだったが、シリア内戦下、禁止されてしまったという。若くて真面目な警官や警察は要注意だ。おじさん兵士なら、見逃していたであろう。なぜ、ビルの中に戦車や装甲車があるのか不思議だったが、それは内戦終了後に平和の祈願のモニュメントとしてフランス人彫刻家が作ったものだということだった。

 大使館訪問一時間後に、携帯に電話があり、翌日12時半から大使との会見となった。(続く)

 WedgeInfinityは、コカインを取り締まってみた