シリア大使館は閑静な場所にあった。領事の責任者は「ビザはベネズエラ居住権がない人はとれない」ととりつくしまがなかった。やる気のない官僚的なベネズエラ人だろう。
ともかくベネズエラ人の仕事のやる気のなさはひどい。この大使館の居場所を知っていたタクシーの運転手は、唯一コロンビア人だった。ベネズエラのタクシーの運転手は「もし、場所がわからなくて、時間が浪費したら、その分、金を支払ってくれ」などという。呆れて怒鳴りつけたことがあった。
また、行方が分からななくなっている、ラタキアのTarek Hakim(31)の写真を差し出すと、「どこかで見たことがある」といって、電話番号を確認だけはしてもらった。だが、電話を何度しても彼は出なかった。
さて、領事の窓口の男性は責任者と違い親切だった。4年前にシリア、タルトスから逃れたシリア人。それもそのはず。甥が日本に留学するとのことで、渡りに船と思ったのである。
翌日別の場所で彼ら家族と会い、タルトスの兄がシリア入国後は、私を受け入れてくれることになった。
「タルトスまではベネズエラよりも安全だよ。大使館でも行ってきたばかりの女性がいるよ。ベイルートか国境でビザがとれるんじゃないかな」
日本に留学するのはまだ18歳で、日本文化が好きで大使館で日本語を勉強していた。その母親は以前シリア外務省に勤めていて、ベネズエラでシリア系ベネズエラ人の医者と結婚していた。
彼ら二人とも日本で再会することになる。
彼らは全員「これは石油を巡る戦いだ」と口をそろえていうのだった。
私は危険に準備なく飛びこむような無謀なことはしない。怖がりなのだ。ベイルートではアレッポから逃れているFahed Eidの姉が僕を待っていることになっていた。
取材は山登りと同じで、周到な用意と、無理ならば中止する勇気がいる。
実は、シリアにはロシアから4泊5日ぐらいの「クレージー・ツアー」が出ていた。ただし、ガイドはロシア語だという。観光地と戦場も巡るというとんでもないツアーだ。
いずれにしろ、私は、パリーベイルート間の飛行機の中でも、レバノンーシリア間は安全であることを確認した。座席の隣はアメリカ在のシリア人5人家族で、ダマスカスの親戚に会いに行くのだという。子供たちもいるのである。(続く)