行住坐臥行屎走尿は嘘ニャン

 猫などはそこへ行くと単純なものだ。食いたければ食い、寝たければ寝る、怒るるときは一生懸命に怒り、泣くときは絶体絶命に泣く。
第一日記などという無用のものは決してつけない。つける必要がないからである。主人のように裏表のある人間は日記でも書いて世間に
出されない自己の面目を暗室内に発揮する必要があるかも知れないが、我等猫属に至ると行住坐臥、行屎走尿(ぎょうじゅうざが、こうしそうにょう)、ことごとく真正の日記であるから、別段そんな面倒な手数をして、己(おの)れの真面目を保存するには及ばぬと思う。
日記をつけるひまがあるなら椽側に寝ているまでの事さ。

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 吾輩がなぜ今は公園住まいのノラになったか、読者は不思議に思うことだろう。おいおい説明していくが、家猫は決して自由気ままじゃないってこと。明治の猫は、苦沙弥先生がかっこうをつけて、行住坐臥、行屎走尿などと難しい言葉で称しているが、吾輩のように自立心と冒険心が豊富だと、現代の家猫には耐えられない。

 最初は良かった。日3度のおいしいご飯、冷暖房完備、吾輩を拾ってくれた美禰子ちゃんの素敵なピアノの調べ、天敵の鼠なんか影も形もない、ねこじゃらしで遊ぶ毎日、何不自由のない生活!? たしかに行住坐臥、行屎走尿。

 でも3カ月もすると、美奈子ちゃんの膝の上でごろにゃんと喉を鳴らすのにも飽きてきた。二階上のロフトの部屋のガラス窓から見える世界に出てみたくなった。
100年後の世界がどうかわったのか、我が同属が下界でどんな生活をしているのか。

 そこで吾輩は美奈子ちゃんが朝学校に行くときに、さっと玄関の隙間をすり抜けた。

「あー 漱石だめ!」

 そんな声が背後で何度も聞こえたが、吾輩は自由の風を切りさいていった。足底が固くて、肉球と爪がちょっと痛かったが、爪の出し入れを調節してじきに慣れた。

 その下界たるや、吾輩にはすべてが真新しく、驚き桃の木山椒の木!

 吾輩は一日外で大冒険をして翌朝戻ると、美禰子は泣いて喜んだけど、泥だらけの吾輩を見ると、母親の富子が頭に角を立てて怒るニャン。
「うわー、汚い! こんなに高いペルシャ絨毯が泥だらけ。とんでもない、また外に出たら、もう飼わない、何が漱石猫よ。バカ猫!」

ぷりぷり頭から湯気を立てて、そして、
「そろそろ、病院に連れて行って、去勢しなきゃだめよ、小猫でも生ませて、たくさん連れて来た日にゃ、殺処分よ」

 ひぇー、吾輩は公園で「去勢」とか「殺処分」という言葉を同胞から聞いた。去勢されたら、恋愛も子孫も残すことができない残酷な手術らしい。殺処分にいたっては、どこかで焼き殺されるという。
 恐ろしい世の中になったもんだ。吾輩はその去勢とかされる前に家を出ようと考えた。
 でも、ノラ猫になった理由はそれだけじゃない。