もてる男は天性のもん、背伸びしてもだめニャン

イラスト BY Sagar Jhiroh

 元来放蕩家を悪くいう人の大部分は放蕩をする資格のないものが多い。また放蕩家をもって自任する連中のうちにも、放蕩する資格のないものが多い。
 これらは余儀なくされないのに無理に進んでやるのである。あたかも吾輩の水彩画に於けるがごときもので到底卒業する気づかいはない。
 しかるにも関せず、自分だけは通人だと思って済(すま)している。料理屋の酒を飲んだり待合へ這入(はい)るから通人となり得るという論が立つなら、吾輩も一廉(ひとかど)の水彩画家になり得る理窟(りくつ)だ。
 吾輩の水彩画のごときはかかない方がましであると同じように、愚昧(ぐまい)なる通人よりも山出しの大野暮(おおやぼ)の方が遥(はる)かに上等だ。

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 吾輩が書いた「坊ちゃん」は江戸子だ。でも、吾輩は新宿牛込の生まれ。厳密には江戸っ子じゃない。3代続いて神田浅草下谷深川で生まれで、人気の待合などの粋を知った放蕩者。
 それが江戸子の条件。今でいえば、流行りのレストラン、料亭、スナック、メイドカフェを知らなきゃ江戸子じゃない。女にもてなきゃ江戸子じゃない。てやんでぃ。バカ者の言い草ニャン。

 吾輩漱石は明治時代あれこれ人気の待合やリストランを苦労して調べて、その知識を三毛子や美穪子にひけらかしてみたてけど、まったくもてなかった。
 だから、吾輩の書くのは悲恋ばかし。女との間合い、肌の触れかた、しゃべり方もついにはわからなかった。一人の女がすく男は、多くの女がすく。それを羨んでもしようもない。天性のものだ。天性の歌手や絵描きと同じだ。

 この公園にだって、もてもての猫はいる。玉三郎だ。丸顔で、目がくりっとして高貴な血が流れている雰囲気がある。三毛子や他の雌猫の白も時々ぼうっと見つめている。黒が無理にちょっかいだしても、さっさと逃げて玉三郎の元へ走っていく。ボッチなど嫉妬から玉三郎にからんでいたところ、白に猫パンチを食らわせられていた。

 猫も人も同じニャン。
 先日公園でOLが話しているのを耳にした。
「街こん最悪。話しかけてきた男がさ、背伸びしちゃって。フランス料理は六本木のどことか、イタリア料理は麻生のどことか、赤ワインはメルローじゃなきゃとか、そんな講釈ばかりいって、そのくせ着ているものったらすごいダサいの。それに忖度って言葉の意味さえ知らないのよ」
「気軽に谷中でおでんでも食べるほうがましね」
 お里は自然と知れちゃうニャン。

 吾輩も地球の裏側のアマゾンに行けば、もてるかもしれないニャン 読んでね。