ルーブル美術館と食とテロリスト(5)

 ぼくは野菜がはいっているシシカバブーを注文した。店内にはずいぶん昔に見かけたか登ったことのあるタワーがある。きっとイスタンブールだ。聞くと店長らしい男が嬉しそうにそうだという。トルコ人の店なのだ。
 イスタンブールなどもISによるテロ事件があったが、ヨーロッパでトルコ人によるテロというのは聞かないような気がする。トルコは本来フランスと同じ政教分離の国である。
 

 では、人はどうしてテロリストになるのだろうか? 命を奪い、命を失うことに一瞬をかけるという激しい行為をぼくは理解できない。丸山健二の小説に「ときめきに死す」があるが、そこではテロリストの怒りとともに一瞬の陶酔を描いていた。

 『イスラム化するヨーロッパ』(新潮新書 三井美奈著)を読んでの感想だが、教育とか貧富の差のようなものはさほどテロと関連性は薄いように思える。日本の場合もかつての赤軍派、オウムの幹部、どれも教育は高い。さほど貧困に苦しんでいたとは聞いていない。テロリストがたまたま貧乏だったり、無学だったりしたに過ぎないのではないか。

 卑近な例で思い出すのは、転校生の経験だ。北海道から東京に引っ越したぼくは、わずかな言葉もちがいもあるが、周囲との違和感から6か月ほどずるや休みをしたことがある。このような違和感は、ふつう1−6か月もすれば回りの環境になじみ、消えてしまう。    
ところがフランスに住むイスラム系の若者の一部は、「フランス社会に決して馴染まない」、「メインストリームからは遠い」、「一生端っこの存在だ」と、思い込んでしまうのではなかろうか。

 そんなときに悪魔のささやきを受ける。それは本物のISによるものかもしれないし、それに擬したどこかの諜報機関が作った偽りの組織かもしれない。

「アフリカや中東の憲兵気取りのフランスは伝統的な覇権軍事国家としてイスラムの無辜の民を殺害している。中央アフリカに1200人、マリに3000人の軍隊を送り、シリアでも毎日空爆している。狙いは旧植民地の権益とウランなどの地下資源だ。薄汚い! もし君が殉教者になるならば、アラーの神が賞賛する栄光への道だ。どうせフランスではイスラムは違う民なのだ。イスラム教徒としてシャリアに従い、邪悪なロックが演奏される音楽楽会場、スポーツの競技場、植民地の象徴のレストラン、それらに集まる異教徒とともにその文化に染まった偽りのイスラム教徒を排除し、君は天国に登るのだ」




 フランスは国の歴史と現在の軍事行動の報いを受けているといえる。このささやきを受け入れてしまう若者は、以前はイスラムなどさほど信仰していなかっただろうに。結局、心の憶測に巣くっていた社会への怒りや復讐心が焚き付けられ、同時に宗教の陶酔に居場所を見つけ、テロリストに変身する。
 人に憎悪を掻き立てさせるのは案外簡単なのだ。人のDNAの奥深くに眠っているに違いない憎悪と他者への殺意の欲望。今ぼくのいるベネズエラでもチャベスが人々に憎悪の火を掻き立て、世界一の犯罪王国に仕立てた。
 けれども移民の一世、二世はどこの国でもそのようなものではないか。時代が違うとはいえ、日本人の中南米移民などはずっと過酷な生活を送ったのである。

 そんなことを考えていると、シシカバブーが湯気をあげて出てきた。昼は魚と貝だったので、肉にしたかったにである。で、味は? ベネズエラで食べる水準と同じだろうか?
 実はベネズエラの僕の家の周りは、アラブ料理だらけだ。南米はレバシリといって伝統的にレバノン、シリア、そしてトルコからの移民も多い。ヨーロッパの移民と違い、商人として、裕福な生活をしている。高級住宅街はアラブ人だらけで、中国人といっしょにある意味商業経済を牛耳っているといっていい。
 一体ベネズエラのアラブとヨーロッパのアラブはどこでどう違うのだろうか(この項、ベネズエラのアラブ取材まで、一端中断)。