今日、ホームレスに戻った その8

★原宿で遺体を探す
2.公園で契りを結ぶ
★チンピラホームレス

 一般の社会でも隣にヤクザの事務所ができたり、チンピラが移り住んできたりすると、思いがけない災難が降りかかってきたような気がするものだ。ホームレスたちが身元がしっかりしている人間しか仲間に加えないというのもわかる。一般人かと見間違える夫婦ホームレスにとっては、あんなチンピラが隣ではさぞかし住みにくいことだろう。
 そんなことを考えながら、原宿の駅を左に見る歩道橋を上がり下がり、原宿の大通りを下ってゆく。道路にはさっそうとした今風の服装の男女が生き生きと歩いている。中にはスケートボードで原宿の坂を猛スピードでくだってゆく若い女性もいる。元気がいい。
 思い起こせばおれにもそんな時代があったし、今日会った、バーテンにもブロイラーにもチンピラホームレスにもそんな時があったのだろう。いったい、どこでどう人生の複雑な糸が縺れてしまうのだろうか? 大企業に入ってそこにしがみついていたら、少なくともホームレスにまでは堕ちないのだろうか? だが今の時代、企業から無理やり振り落とされてしまうし、大企業だって安泰ではない。
 世渡りのうまさか? 他人を蹴散らす強さか? それともただの運か?
 おれはついつい思考の迷路の中に墜ち込んでしまう。悪い癖だ。すると、神の啓示のようにラテンアメリカの友人たちの言葉が耳元に響いてくる。
「結論の出ないことは考えないほうがいい」
 おれが慣れ親しんでいるラテンの男女はおれにいつもそういっていた。彼らはある意味達観している。未来のことなど人間にはこれっぽちも予測できないのだから、目前の快楽や要求のほうが大切なのだ。つまり、稲村に早くビールを奢ってもらうほうが先決だ。おれは足を速めて坂を下った。
 渋谷方面へいく大通りに入ろうとしたところで、道路の逆側から、「風樹さんー」という声が聞こえる。見ると、ビニール袋を持った中年過ぎの男女が手を振っている。こちらも手を振り返した。橋本さんと渡辺さんだった。二人は夫婦別姓ホームレスで、案外身元がしっかりしている。だからおれは自分の名前も準ホームレスの物書きだという正体も明かしている。
 奥さんのほうがおれに向かって代々木公園を指差した。おれはそれに素直に肯き、今来た道を取って返した。いるかいないかわからない、石鹸が売れているかどうかもわからない、稲村にかけるよりも、彼らと久しぶりに旧友を温めるほうがいいと判断したのである。
 人生は無数の選択と決断から成り立っている。その選択を次々と誤るとドツボに墜ちてしまうのだろう。
 おれたちは明治神宮の入口際で出会った。ー続くー

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無縁社会について
 ここ1、2年ほどは、NHKが「無縁社会」として多くの人間に無縁という言葉を意識化させた。
けれども、取材対象者が「無縁ではない」という意味の抗議の声をNHKに寄せたと聞いている。テレビの常のとして、途中から視聴率をとらんがために、無理やり無縁の形態に当てはめるために、取材対象の事実をゆがめ、彼らをこじつけのための道具としてしまったのである。
 もともと無縁という現象をいい始めたのは、ぼくだった。それに気付いたのは1988年、日本がまだバブルに踊っていたときで、それを言語化したのは「ホームレス人生講座」である。また、NHKのいう無縁社会には欠落しているものがある。わたしが訴える無縁とは、精神のレベルでの無縁化、つまりアイデンティティの希薄を含めての無縁化であり、NHKのいう「無縁社会」とは一線を画する。震災後は、絆という言葉を盛んに使うので、ここらで「無縁社会を超えて」のような形で、次々作ぐらいで述べて見たいと思う。

★「結論の出ないことは考えないほうがいい」
 以下、「行人」(夏目漱石)から。 
「私は兄さんの話を聞いて、始めて何も考えていない人の顔が一番気高けだかいと云った兄さんの心を理解する事ができました。兄さんがこの判断に到着したのは、全く考えた御蔭おかげです。しかし考えた御蔭でこの境界には這入れないのです。兄さんは幸福になりたいと思って、ただ幸福の研究ばかりしたのです。ところがいくら研究を積んでも、幸福は依然として対岸にあったのです」

チェルノブイリのときは、イギリスなどで、内部被曝がもっとも高くなったのは、事故の一年後だと聞いたことがある。ありがたいことに、この東京にも、世田谷区下北沢に放射能市民測定所がオープンされるようだ。