「長崎の鐘」の謎

「良太君が気づいたんだけど、『長崎の鐘』に唐突な表現が出ててくるの。まるで、暗号みたく、ねえ、良太君」
「うん」
長崎の鐘って何?」
 まことは、ぼくと同様にこの本のことを知らないようだ。
「長崎の放射線学者が被曝したあとで書いた本だよ。原爆被曝記としては世界最初の本じゃないかな」
 ぼくは山神博士の講演のあとで、気になって博士が言及した『長崎の鐘』を読んでみたのである。著者の永井隆は、『原子時代の開幕』という威勢のよい題名にしたかったようだが、出版の際にこの題名に改題されたらしい。
 本の内容から判断すると、筆者の博士は原子力が大好きなように見えた。使い道を間違ってはならないとは書いてあるが、自分の子どもに
原子力が汽船も汽車も飛行機も走らすことができる。石炭も石油も電気もいらなくなるし、大きな機械もいらなくなり、人間はどれほど幸福になるかもしれないね」
 と話して聞かせている。
 さらには、研究者は研究対象を好きになるものとはいえ、回りの患者や医者が劇症白血病で次々と死んでゆき、自身の被曝も致命的なのに、稀有な研究機会を得たと歓んでいるふしがある。
そう説明してから、暗号に思えなくもない部分について言及した。
「原爆の直撃を受けて母校の長崎医科大学が廃燼に帰するんだけど、丘の上に立って燃えさかる大学の最後の姿を見おろしている自分たちを、『まさに昭和の白虎隊だった』って唐突に書いてあるんだよ」
「えー、白虎隊!」
 まことと清美ちゃんが同時に声をあげた。
「その医科大学だけど、結局、原爆の被害で壊滅。紆余曲折あって最終的に廃止されちゃうんだ。あとをついでいるのは長崎大学医学部ってことになっているけど」
「石神博士の大学ね」
「うん、彼も永井隆と同じカトリック教徒だよ。文部大臣も長崎県の選出だからね」
「うーん、なんか見えてくるな」

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 上記、『愛! フクシマの黙示録』(第5話 文明の残骸を声もなく眺める)より

長崎の鐘』(永井隆博士)には様々な不思議があるのです。

★発刊時期の早さ
この書籍は「マニラの悲劇」という日本軍の残酷さを強調するレポートといっしょに発刊されました。昭和23年、1948年のことです。当時、GHQの検閲は厳しく、とりわけ広島、長崎の原爆投下とその惨劇が広まることについては神経質になっていました。マニラの悲劇と抱き合わせとしても、ずいぶん早い発刊でした。
なぜ、発刊できたのか?
 広島でやはり被曝して、ぶらぶら病について講演されている医師の肥田舜太郎さんの原爆体験記「広島の消えた日」が発刊されたのは、1982年。遅れること34年とずいぶんな違いです。

★プロデューサは式場隆三郎
長崎の鐘」を発刊した当時のプロデューサは、精神科の医師で作家で企業家の式場隆三郎さんなのです。裸の大将 山下清さんのプロデューサです。三島由紀夫さんの友人で、三島が彼に自分の同性愛傾向を打明けているのです。式場さんは今はない「東京タイムズ」の創刊者でもあります。

式場隆三郎さんの精神病院火災
彼の精神病院が不審火から大火災になり、18人の患者が焼死し、2名行方不明なのです。昭和30年6月18日のことでした。戦後の大火災のひとつです。たまたま 原子力基本法原子力委員会設置法が成立した年でした。

 蛇足ですが永井隆博士は「カモイナメ」というあだ名だったそうです。鴨居をなめることができるほど、背が高いという意味です。足は12文(29センチほど)。巨人なのです…。 
 

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ホームレスパパ
 人間的な話しが読みたいという読者の方がいらしたので、即人間ぽい話しが出るのは、完成版の上野のホームレス体験記をどうぞ。そのうちブログかHPでも一部掲載します。渋谷と西成、あいりん地区のホームレス体験も追記しようと思っています。

★ 飯館村の牛はどうなった? HPのほうに写真とともに記載しています。街に関しては、だれもが「死の街」と感じてしまうのが、普通の感覚のようです。