原発ストの明治公園にぼくは逃げた


「あれから大塚は行った? わたしはずっとマイナスイオンやってないからまたアレルギーが出て大変よ」
 渡辺さんはおれに半袖から出た腕を見せた。赤いぽつぽつがいたるところにできていた。
「この一年で三〇年分の苦労を背負ったわよ。あの館野さんはどうしている? ミュージカルは?」
 生憎、彼女はこの暑さの中、身体の調子も悪いのに母親の介護をせねばならず、かなりまいているようだった。おれは彼女が癌であることだけはあえていわなかった。
「そうなの、大変ね。はじめてあった人にはなかなかいえないけど、それにうちの人も風樹さんもいたし、女同士なら話せることってあるから、わかるでしょ」
 女性に対する質問はやはり女性が行うべきだろう。彼女の嘆きは続く。


「公園にひどい女がいるのよ。見たところ七〇ぐらいのばーさんに見えるんだけど。水商売の女で、だんながいるのよ。同じテントに。ところが夜になると別のテントに行くのよ。他の男のところに。そんなの信じられる? 自分の夫がいるのに。隣のテントにくるのよ。夜な夜な」
 あの狂暴な男のところにくるのである。それにしても七〇歳なのに引き受け手っているのだろうか?
「ええ、だって男の世界でしょ。女は少ないからみんな飢えているの。次から次へと強い男のところに言い寄っていくの。ご飯とかもらえるから」
 どうも渡辺さんは、その女のことをあれこれ悪く言ったらしい。
「『のじれん』のメンバーなんかにもばかなのがいて。あの人がこんなこといっているよ、なんて言うのがいるのよ。言わなけりゃいいのに…」
男同士の争いではなく、女同士の争いだったのだ。七〇歳のばーさんがあの狂暴な男に告げ口をしたのだろう。元電電公社のおじさんこそ、いい迷惑だ。女同士の争いに巻き込まれたわけだ。


 話が途切れると彼女はうつむいてしまう。脳裏にあるのはおれと同じ光景だろう。殺気立つ男の大柄な体躯と元電電公社総務部のおじさんの細い肉体。嫌な予感がした。
「だいじょうぶかしら? 半殺しの目にあっているのかも」
「まあ相手だって馬鹿じゃないでしょ。そんなことしたら公園にいられなくなるから」
「でも、そんな相手じゃないないわよ。あとから来たのに左側と右側にテントをはって。右が寝る場所で左が炊事用なのよ。わたしたちの場所を取ろうって」
 それはたちが悪い。おれはふたつも住居を持っているホームレスは知らない。
「あぁー、わたしもう代々木には帰れないわ。半殺しに遭うから。もうあの人には、他の男がいるから、もうどこかに行ったって言って。嘘も方便っていうでしょ」
 渡辺さんは追いこまれ、精神状態が普通ではないようだった。まわりでは、若者たちがトランプをやりはじめたり、スケボーをやったり楽しそうである。背広を着た五〇がらみのサラリーマンも千鳥足で歩いてきて、おれたち二人の前を通り越し、ごろんとビニールシートの上に横になった。
「すいません、すまなかったです、っていっているんですよ」
 一人ごとをいって寝こんでしまった。
茶髪の若者がおれに、「この通路の区切りってどこですかね?」と聞いてくる。「そんなの知らないよ」とぶっきらぼうに答えると、ぶつぶついって退散する。おれたちの背後にある木の根っこに、いつの間にかホームレスらしい男が仰向けに寝ていた。その男が「区切りって、あっちじゃなねえか」という。


 おばさんが不安そうな表情でおれにいう。
「ねえ、風樹さん、ちょっと見てきてくれない。遅いわ。つけられるから、すぐには来れないとは思うけど。どうしているか、心配。テントに行って、うちのに言って。『私のほうは明日までいるから、つけられそうになくなったら、きて』って。でもあの男に聞こえないように小声で言うのよ。ほら、ホームレスがごみを探す時間に、『ハンバーグが出ているから』とか、『あの人は他の知り合いのところに行った』とか言って」
 公園まで戻るのは億劫だし、どんなとばっちりを受けるかわかったものではない。気が進まないので、いった。
「あの男、ヤクザですよね」
「ヤクザじゃないわよ。三下よ。宮下公園の刺青があるひとたちもこっちの味方よ。使うみたいで悪いけど行ってくれる」
 悪戯に殺気立っているのだから、確かに三下のチンピラだろう。それだけにチンピラは何をやるかわかったものではない。 
「もう少しまってみましょう。一〇時まで」
 そういっておれはしばらく明治公園の入り口に目をやっていた。一度、中年の痩せ形の男の影が、我々の方へ歩いてくるので、「あれでしょうか?」と期待まじりに言ってみるが、さすがに奥さんだ。
「うちのひとの歩き方じゃないわ」

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★代々木公園の入り口にいくと、若い女性が原発国民投票の署名をしているのか、と思ったら、違った。なにか雑誌のモデルのオーディションのようだった。
★ぼくはこの彼女らがいる場所から、ホームレスのおばさんといっしょに明治公園まで逃げたのだが、結局もう一度代々木公園に戻らされてしまう。
原発ストは1万2千人とか主催者発表だが、ずいぶんと控え目。神宮球場や国立の観客の入りから想定すると、2万人以上は集まったように感じたが。