政治崩壊はファシズムへのとば口か

 さて、ここを訪れてくれた方々にとって、今年はどんな年だったのだろうか? 
私が思うに、日本史には「破壊と喪失の時代」と刻印されることであろう。
 津波により人は仕事を、愛する者を、家を喪失した。原発(科学技術)が人から故郷や仕事を奪った。
 社会システムや政治を考えても「破壊と喪失」は今後もしばらく続くに違いない。
 年末に今後の日本社会と個人の生き方を少し考えてみたい。

1.ファシズムのとば口か
 政治崩壊、衰退国家、ブロック経済―この三角関数の解のひとつはファシズムであろう。ファシズムは魅力的である。社会の敵を明示し、人々の憎悪に火をつけ、改革へといざなう。ほとんどの場合、最初はうまくいくか、あるいはそのように見える。しかし結果は奈落である。ぼくはここ数年来、ファシズムの到来を予感している。

2.チャべスというファシズム
 ぼくはベネズエラという選挙で選ばれたチャべスのファシズム政府下で暮らした。マスコミはコントロールされ、反対するテレビチャンネルは徴税権や法律で難癖をつけられ、政府べったりの内容となるか、あるいはオーナーが国外撤去か刑務所入りとなる。
 それでも経済がよければましだろうが、魔法のようだが、空前の原油値上下、南米でもっとも経済運営がうまくいかず、そのせいか殺人率は60を超える(10万人のうち殺される人数)。ぼくの回りでも友人が誘拐され、知人が撃たれている。金目当てである。まわりにチャべス派は一人を除いて誰もいなかった。
 でも、ここでは触れないが選挙には勝つことができる。不幸な社会である。友人の若者たちの一団は酔っぱらって真夜中に「チャべスに死を!」と叫んで歩いたりしてものだ。利権集団(チャべス派)に入らなければ将来が見えない閉塞社会なのだ。

3.官僚ソフトファシズムだったのか
 ひるがえって、日本も、旧主派にはむかうと、財務省や警察権力により、振るいおとされてきたのだから、ある意味もともとファシズムといえるかもしれない。徴税権による脱税の摘発と最近のはやりは、チカン行為として摘発し、息の根をとめるのだから、ソフトファシズムあるいはピンクファシズムといえるのかもしれない。

4.今後、日本には橋下政権がいつかできる可能性があるだろう。今のところ、彼のいうことは正論であり、市民革命のように見える。さて、彼が今後どのように大阪を運営していくのか、しっかり注視する必要があるだろう。

5.衰退する国家での生き方
 個人にとっては衰退する国家での生き方が問われるだろう。20年以上前に「新段階を迎える市場開放」(首相向け提言)にかかわっていたが、それは提言として日の目を見なかった。過半数の賛成が得られなかったのだ。焦点は移民政策であった。日本はもっと移民を受け入れるべき、という条項には、財界人も知識人も政治家もこぞって反対した(ぼくは賛成だった)。社会の混乱や活性化よりも、安定的な衰退を選んだと、ぼくは解釈した。そのころはまだバブルの余韻があったころだった。

6.外に打って出るか、静かに衰退するか
 景気が悪いのではなく、日本は衰退期にある。だから、日本が好景気になることは決してない。(わずかな上昇があっても)。衰退国家は人口が減るし、人は海外へ流出していく。このような衰退期を日本は、あるいは日本の一部は戦前にも戦後にも経験しているはずだ。そのときは、移民した。内が活性化しないならば、外へ行くしかない。食えなくなれば他の場所に行くのが当然である。
「下山の時代」(ぼくはこの人のエッセイはあまりに内容が薄く、軽いの読まないが)などというが、若者は下山するわけにはいかないだろう。つまり、「日本がいい」などといっている時代はもう何年も前に終わったのである。

 なんだか、まとまりがつかないが、このブログを訪れてくれた方と今後訪れてくれる方の幸せを願って、今年は終えよう。
 よい年をお迎えください!