カストロ死す

 日本に戻ってから、もう4ヵ月にもなってしまった。
 今は次の書籍の準備で忙しい。
 短信レポートはWedge Infinity で書いているので時々覗いてみて。

 さて、カストロが11月25日に死去した。キューバは9日間、喪に服すという。そしてなぜか、いや、当然というべきか、キューバの植民地のベネズエラも3日間、喪に服すという。他国の元首の死に喪に服すとはいったいどういうことだろうか?

 チャべス以来、ベネズエラキューバに国富をしゃぶりつくされてきた。無償の石油輸出、カストロの指示とおり、国内を犯罪で沸騰させ、経済をがたがたにし、かつ世界の左翼ゲリラなどに石油・コカインを資金として援助する。ベネズエラキューバ代理人として10数年間勤務した。

 観光客が来るのはキューバだった、アメリカと寄り添い始めたのはキューバだった。キューバは多大な利益を得、ベネズラは収奪された。チャべスは老獪なカストロの掌で半ば操られていた。なぜならキューバのような100年王国を作りたかったからだ。独裁をいつまでも続ける。国民などどうでもいい。騙して、ほんのおすそわけをやればいいのだ。
 でも、国全体がやせ細って来た時、さすがに、なんか、おかしいとチャべスが気づきいた。
キューバにも市場価格で原油を輸出する。変なことはない」と演説するようになった。そして、キューバスパイが彼の病死暗殺に動いていた。
 
キューバ人はベネズエラ人以上にベネズエラ人だ!」 ベネズエラ人たちはそういったものだ。

 チャべスが死んだ翌日のホテルの朝食、毎日、豆と目玉焼きとパンやアレパと決まっていたのに、なんと、ステーキが出たのだ。こうして密かに、つつましく、ホテルオーナーはチャべスの死を祝っていた。

 その後、キューバで殺されたチャべスの後釜は、キューバの完全なエージェントの現大統領マドゥロだった。
 教師を失ったマドゥロはいったい今度どうするのだろうか?

 キューバベネズエラ詳細、その証拠とともにどこかで書くときもあるだろう。合掌