レバノンのメイドカフェと日本人人質 安田純平氏 (2)

日本大使館員が親切に応対してくれたが

 ベイルート日本大使館は厳重に警護された大使館コンプレクスの2重、3重の扉の中の広い敷地に、オーストラリア大使館、イギリス大使館などと同居していた。
一介の旅行者の私に親切に対応してくれたのは、警察から出向中のシリア班安全担当Sさんである。一月前にヨルダンの首都アンマンから移動したので、まだ名刺も持っていないという。政治情勢や安全状況について聞いた。

「シリアは2011年に退避勧告が出て、大使館は2012年に閉めています。シリア班はここに5人。あとヨルダンのほうにもいます。
シリアの政治情勢は主要反体制派の幹部『最高交渉委員会』(HNC;サウジ リャドに本拠)とシリア政府が交渉していますが、
本質でつまりアサドを降ろすか否かで合わない。だからまとまりそうにない。まあ、いろんな情報が飛び交っているので、それを
整理するだけで大変です。家と大使館の往復ですよ。シリア大使館? あると思いますよ。行ったことありませんが」

 来られたばかりなのだろうか? 日本はシリア政府閣僚やアサド大統領の資産は凍結としているはずで、シリア政府とは敵対している。
でもインテリジェンスという観点からは人的関係を作ったほうがいいだろうと思うが。


「安全に関しては任地が中東でよかったですよ。南米は危ないですからね。警察の出向者の話ですが、ベネズエラだったと思うけど、
子供の強盗に殴られ、血を流したら、驚いて逃げて行ったんです。警察に届けたら、『よかったな、殺されなくて。ここでは毎日50人殺しがあるから、そんなのかまってられない』ってことですから」

 外務省の海外安全サイトでは私のいたベネズエラのプエルト・ラ・クルスもベイルートも同じ、レベル2(=不要不急の渡航は止めてください)にあたるが、体感の安全度は数倍違う。


「でも、ベイルート南側は、ヒズボラ支配地区だからいかないほうがいいですよ。あと郊外は危険だから行かないでください。
とりわけビブロス(Biblos)はお金持ちを狙った誘拐があります」

 北はトリポリ近辺以北(=シリア人以外の外国人はレバノン防衛省の許可が必要な模様)、西はベッカー高原より東はレベル3で渡航中止勧告となっている。
 無論Sさんは、そのような危険地域には立ち入っていないだろう。当然だ。組織の人間である。もし、大使館に所属する人間が自ら他者に「行くな!」といっている
地域で、強盗にあう、最悪誘拐される、などの不祥事を起こしたら、マスコミの絶好の餌食だろう。しかも本人はその組織に居づらいし、出世の道も閉ざされる。
組織の人間とはそういうものだ。だから、主に英語新聞から情報をとって分析する。その意味で日本は決してインテリジェンス組織を作ることは不可能であろう。
 組織に属さない私は「そうですね」と軽く頷き、昨日の意外な発見について披露すると、Sさんも驚いたようで、二人の会話も俄かに華やいだ。


「えー、メイドカフェがあるんですか? それは凄いですね」
「多分、そうだと思います。是非探訪してきて、確認してください」と私は大凡の場所を伝え、そして言葉を紡いだ。


日本人人質について聞いてみたが

「たしか、日本人の人質(安田純平氏)がヌスラ戦線につかまっていますね? あれ、カタールが支援している組織だから、最大のお得意さんの日本が
カタールをつつけばすんなりと解放されるんじゃないすか。どうなっています?」
 不意打ちだったであろう。Sさんは俯むき、やや目を伏せて気まり悪そうに「今やっているところです。言えないけどね」と答えた。

 私にはずっと不思議だった。ヌスラ戦線や他の過激派に拉致された多くの外国人は解放されている。スペイン人記者3人、フランス人記者4人、アメリカ人フリーランス記者1名、シリアで働いていたロシア人2名、イタリア人1名など。
 他の国と比べて日本は有志連合に入って爆弾を落としたり、軍事顧問になっているわけではない。日本人が拉致され救出されない、それどころか殺害されるのは、
まったく理不尽で割に合わない。アジアのバングラディシュででさえ、日本人7人がテロの犠牲となった。なかの一人は「私は日本人だ!」と叫んだというが、
時代は急転し、「私は日本人ではない!」と叫ぶ判断のほうが正しくなってしまった。
 私は今後、中近東駐在の仕事は断ろうと思っている。

 私はそれ以上Sさんを追及することはしなかった。彼に責任はない。私は、安田純平氏の考え、思想など、とても共鳴できない。だからといって政府のトップがやっかいばらいできたと考え、しかも多くの国民も政府にたてつく人間だから、自己責任、ほおっておけ、と考えているのだろうが、何か恐ろしいことだ。
 当然、外務省やお役人はそれらを忖度するのだろうから、救うような行動はとらない。

 政府と違う考えを持つーそのような人は何かのときはまったく救われないということである。それは政治状況が変われば、これを読んでいる方にも当てはまることになる。
 帰路、内戦時の爪痕が残るホリディインを見上げて何か寒々しいものを感じたのだった。
(続く)