ベッカー高原からダマスカス街道へ


 さて、ベッカー高原というと何を思い出すだろうか。年代やどのような階層に属するかでまったくイメージは違うのではなかろうか?
団塊の世代だと、日本赤軍が訓練をしたキャンプのあるところとして記憶しているかもしれない。旧ソ連やシリア人には苦い思い出であろう。











 かつてシリア軍VSイスラエル軍の激しい空戦が行われ、シリアの旧ソ連戦闘機はばたばたと落とされた。戦車戦でもシリアはイスラエルにかなわなかった。
旧ソ連兵器はアメリカ製に大敗。それもソ連崩壊を早めたといわれている。

 けれども今、ここは湾岸産油アラブの王様やお金持ちたちの避暑地である。ワインもあるし、女もありだという。ワイナリーがあり、レバノンワインを試飲できる。










 隣で内戦が行われているのを思い出させるのは、戦車の看板である。24/24/10452 の意味するところは「レバノン軍は24時間、レバノン全土(10452m2 )で防衛のために働いています」

 ダマスカス街道へと進むと、パレスチナ難民地区(といわれるが、ふつうの家に住む)とともに、あちらこちらにシリア難民のテントが現れる。
 レバノンの人口は450万人ほどで、パレスチナ難民は30万人前後。シリア難民は100万人を超える。なお、外人は誰でも土地を取得できるが、パレスチナ人だけは購入を禁止されている。
 畑ではシリア人の女性たちが働いている。男性よりも給与は安く、一日5ドル前後。 最貧国のベネズエラでは週給5ドル前後なので、それよりはましのようだ。【続く】