シリア難民キャンプを行く


畑で働くシリア人女性たち













 アンチレバノン山脈を越えれば、シリア。ダマスカスまでは車で30分前後である。以前はISの支配地域だったが、ヒズボラが彼らを蹴散らしている。

 中東は敵の敵は味方という、わかりやすい構図なので、たとえばヒズボラの敵であるイスラエルはISの味方となる。また、その構図に石油という資源を垂らすと、例外はあるとはいえ中東の国際関係は案外鮮明である。
サウジとイスラエルが仲良く組むのも、地中海油田が見つかった今は、シリアアサド政権は共通の敵ということだろう。

 国境が近づくと、シリアナンバーの車が多くなる。国境を行き来して働くこともできるし、もちろん両国の商品をトラックで運搬することも可能である。国境の検問所Masnaaまで行ってみたが、きわめて平穏な国境だった。
あの山超えればシリアだが、ビザがないので入ることはしない。







 国境近くのシリア難民キャンプを訪れてみた。
 この区域には200ほどのテントが張られている。15年ほど前に上野公園のテント村600テントを取材し、公園で寝ていたころを思い出した。もちろん国連の支援があるので国内のホームレスやフランスで多々見かけた路上のホームレスよりは、生活水準はずっと良い。自己責任ではなく、戦争被害者なのだから当然とはいえる。











Zeid Al Al Kara 53  妻Halimh 39 妊娠中。子供女子3名 9歳、7歳、4歳
反政府の牙城のひとつであるIdleb出身。2012年Idlebを逃れた。土地持ち農民で小麦を作っていた。

夫「反体制派はほとんどシリア人だった。アサド政府の戦闘機が爆弾をどんどん落としてきたんだよ。子供が小さいので逃れることを決意したんさ。ここについてしばらくは、真ん中の娘は小さい音でも驚くようになった。国連から一人30ドル利用できるカードを支給されているよ。月150ドルだけど、十分じゃない。働きたいけど、レバノンは小さい国だからなかなか口はないね。それにー彼は指がひとつないー畑で毒蛇に指がかまれて、今も時折体中が痛むときがあるんだ。水は支給されているけど、ガスは自分で買っているよ。この土地は私有地だから年600ドル支払わなきゃいけない。でも払えなくて借金があと200ドルたまってるんだ」

妻「レバノンは物価が高いわ。同じ金額でパンならば、3つ買えるから。もちろん、私たちは家に戻りたい。土地もあるし。政府なんてどこでもいいのよ。ちゃんと平和に暮らしていければ。子供たちは国連の設立した学校に行っているわ」
夫「もっともこまっているのは、この土地は地下水が出ていることだね。雨が降ると床が浸水するし、冬は雪が降る」

 ぼくは原発事故のときに子供が小さいので、一週間ほど関西に逃げていたことを思い出した。ベイルートで会った日本好きの青年もEdleb市出身の反政府側だった。彼は「ここではシリア人はよく思われていないので」と、とりわけ政治の話はぼそぼそと小声で話すのだった。肥沃な農地を持つIdleb市はAleppoとLatakkiaを結ぶ戦略上重要な都市で、昨年はテロ集団のヌスラ戦線や反体制派が陣取っていた。今はアレッポのテロリスト、反体制派などが集められている。ロシアやアサド政権も爆弾を落として根こそぎにしようというのだろう。


近所の子供たちを集めて、コーラン学校を開いているのが、Zeid Al Al Kara 39 Homs出身。「ダマスカスのモスクでコーランを13年間学んで、終了して先生として教える寸前に戦争になっちゃたんですよ。それで、2013年シリアを脱出しました。思い立って、子供たちにコーランと読み書きを教えるために、自力でこのキャンプにコーラン学校を作ったんです。生徒は70人ぐらいいます。朝10時からの授業で、木、金が休みですよ。虫歯が痛い?妻は看護婦ですよ。注射しますか?」
 まるでスポーツ選手のように体格がよかった。どこでかしらないが、鉄棒などで鍛えているのだという。
 
 彼らはまだまだ難民キャンプ住まいだろう。
 この稿終了