福島のおかあさんの言葉

 福島の人たちは何も好き好んで疎開しているわけではない。大都会に住んでいるぼくのような東京人ならば、まだしも移住に抵抗が少ないかもしれない。
 想像してみよう。
 子どもは線量計をつけて学校へ行く。外に出られない。暑い。だがクーラーどころか換気扇も回せない。
 関東、福島産以外の野采を探す。なかなか見つからない。給食の牛乳も心配だ。親も子もストレスが続く。それがこのあと何年も続くのだ。
 このストレスは、すさまじいものだろう。それだけで健康を害する。

 しかしなかなか疎開ができない。家族の誰か、親族の誰かが漁業や漁業に従事しているかもしれない。さらに、ローンもある。仕事だって探すのは難しい。福島県はいまだ大家族だって多い。村社会特有の「なんだ、逃げるのか」などと後ろ指を指される。

 どんな状況なのか、なによりも福島県民の母親の言葉を聞くのがいいだろう。

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飯舘村の隣の月館町から来ています。線量が高くて、家の隣の公園が2マイクロシーベルト毎時です。私の生まれは原発のある富岡町です。わたしは原発は危ないと思っていた例外です。
3月11日には家に帰って出来る限り水をため、回りの人に『洗濯ものを干さないで』といって回りました。その後一週間子どもたちを家にかこってすごしました。学校がはじまってからはそうもいきません。

 学校にはカッパを着せて、マスクをつけさせていかせています。ほかのおとうさんに「あんなまでしていて学校にくる子がいるよ」なんていわれて「あれ、うちの子よ」っていいました。そしたらみんな凍りついてました。

 私は学童疎開、みんなで避難したほうがいいよって言ってました。チェルノブイリを超えるよっていってました。でも、飯館村もまだ避難地域ではありませんでした。隣が大丈夫なら、県が安全というから、万一のときは逃げると決めていたのに、私自身大丈夫だろうってたかをくくってしまいました。線量が一番高いときにそんなふうに思ってしまったんです。
その後、いろいろ情報が出て、やっぱり危ないなと思いました。

 私、PTAの会長で、地域の子どもとかかわってきました。うちの子だけつれて、他の子を残して、その責任を放棄して疎開していいのかってずっと悩みました。でもやっぱりこんな線量の高い所においておけない。
 そこで周りに、危ないから逃げてっていって歩きました。でも中通は普通に暮らせるわけです。放射能は見られないから。県も国も安全だっていっているじゃないってみんな言ってました。でもストロンチウムが出て、メルトスル―まで明らかになって、おかあさんたちの中には、いまは『本当はどうなの?』って聞いてくる人もいます。情報はあとからあとからでてきます。でももう遅い。そうだったら、もう過ぎてしまった、しょうがない。
 だから避難するなどというと、「そんなこといわないで!」 「人がいつかなくなる!」「客がこなくなる!」 って言われて、言えなくなってしまいました。
 それもわかります。みんな元から住んでいる人です。農家、商家、生まれ育った町、まわりとの関係性を捨てて、逃げるなんてほんとすごいつらいです。
 自然がすばらしくて美しい町です。私はきれいな蝶が好きです。山には野いちごやキノコがあって、そんななかで子どもを家の中にいれておくなんて、もうできません。
『おかあさん、もう嫌だ』って子どもにもいわれました。福島県の外から、「県外にきて」「サマーキャンプがあります」って手が差し伸べら得ていますが、そんな情報は県の新聞にもテレビにも県の広報紙にも載りません。ネットだけです。
 避難した後の生活がみんな心配しています。ある人は「わたしたちは捨てられた民だよね」といいます。あるひとは「おかしいよ、避難なんて、どっかの宗教か政党の回しもの、県も国も安全だっていってるのに」といいます。でも、みんな普通のおかあさん、おとうさんです。
 PTA会長の職をなげうって逃げるのかって何度も泣きました。土地も友達も捨てられない。子どもたちもいやだっていう。その中で避難するのはものすごく勇気がいります。自分の町で、東京でいうようにみんなに『疎開しなきゃ危ない』なんていえません。そんな勇気はありません。でも、もう限界です。私は札幌に疎開します。

 私はせめて中通だけはみんな避難してほしいです。森も木も地も動物たちもいっしょに連れて避難したいです。それだけ素敵なところなんです。本当は町の人たちに言いたかった。いっしょに避難しようって。たったひとりでも動いてくれたそれでもいいと私は思っています、本当は国や県に避難しろっていってほしい。そしてわたしたちを支えてくれるみなさんがいることをねがっています」

 また福島市のおかあさんはこうもいっていた。

「最初は山下さん(山下俊一)を私も信じていました。福島県中にきて安全だって講演をしたから、100ミリシーベルトは安全だっていうのを信じた人が多いんです。でももう私も洗脳は解けました。うちは子どもたちがやっぱりストレスで、寝ているときに身体がめちゃくちゃうごかしてたりして。山形に疎開します」

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現在ぼくは、医療系の専門誌に放射線の影響について書くために、大学の放射線学科の教授や在野の放射線専門家委、小児科医など様々に取材を続けている。
 等価線量とか実行線量とか、計算式もなかなか頭が痛いのだ。
 その過程でやはり福島の状況は過少評価してはいけないということと、原子力がそうであるように象牙の塔の中の大学の放射線学科の学問じたいが、一般の常識から厳しい批判を受けて、改革する必要があると感じるようになった。放射線なんかだいじょうぶという専門家もぼくの常識的な質問に「たしかにそうかも」「そうだよね」ということが多いのである。

IAEAは英語の論文350だけから、チェルノブイリの死者は4000人といっている。どちらかというとそれを信じているのが日本の学者である。けれどもニューヨーク科学アカデミーは、ロシア語やベラルーシ語も含め5000以上の論文からチェルノブイリの死者は100万人と結論づけている。
 ぼくは地域のことは地域の人間から学べとずっといってきた。
 さあ、きみは、あなたはどちらを信じる?