ジカ熱か疥癬かそれとも、ベネズエラ病か?(2)

サンパウロでぼくの発疹に男たちが恐怖する

 一度目はまだ20代で、本職のバックパッカーをやっていたころだ。症状が悪化したのは、ブラジルのサンパウロだった。はじめてだったので、体中にできた赤い発疹と叫びたくなる痒みが何に由来しているのかわからなかった。とりあえず、体を日干しにした。とりわけ胸の周囲が真っ赤な発疹に覆われていた。

 覚えもないのに、エイズに感染したのかと観念した。


 当時、サンパウロでは伝説的な一泊一ドルの日本人ドミトリー荒木にいて、そこには夜の特攻隊のような男たちが、毎夜ボアッチにくりだしてブラジル女を物色して翌日の昼や夕方に戻ってくるというありさまで、しかも、みなエイズの心配をしていた。いわく、

「すごい美人の若い娘がエイズになったんだよ。おれも3度やっているから心配だ。後ろの穴だったようだし。ほら、写真みなよ。こんな美人で若いのに。かわいそうに」
「おれも心配なんだ。先週、ひどく酒を飲んでいて、女がぺたってうつぶせて、後ろからっていうんだよ。どっちの穴かわからなかったし、それにほんとよっていて、男か女かも自信がない」
 
 けれども、ぼくの心配は別のところにあった。
 当時、サッカー選手がけがをして血が混じったのでエイズが罹患したというニュースがにぎわしていた。ぼくもアマゾンでフットサルをやってヘッディングをして頭と頭をごちーんとぶつけ、血が噴き出したことがあった。相手は若いなにかと身持ちの悪い男だった。

もちろん、侍精神で、タオルをまいて試合を続けたのだが。


 セックス特攻隊のような男たちは、ぼくにもボアッチに行かないかと誘ってきたが、ぼくはTシャツの裾をまくって発疹だらけで真っ赤に腫れた胸元を見せてやった。誰もが一歩退いて、小声で「それじゃいけないな」というのだった。それ以来、彼らは恐怖の目で僕を見るようになった。

疥癬
 サンパウロで皮膚科の日系人の医者にいった。日本語はぼくのポルトガル語と同じ程度にあやふやだった。で、スペイン語なまりポルトガル語で話した。

「最近、山にいったか?」という。
「一度」

 チリでビージャデルマルにある山の公園を歩いていたことがある。そこではチリの男に危うく強姦されそうになった。 坂道を歩いていると、手をかしてくれ、人のいない林の中でいきなりキスされそうになったのだ。
「やめてくれ!。 ぼくはおかまっぽじゃない」
 ひげを生やした男は、「ひとりだからてっきりホモだと思った」と謝り、最近ブラジルから帰ったばっかりで、あっちでは恋人と夢のような日々を過ごしたとあれこれ語りだしたのだった。


 医者は山にいるダニによる疥癬だといった。私は山ではなく、直観から泊まったホテルの湿っていたシーツを思い出した。ともかく医者は薬を処方してくれた。

 今では忘れたが、それは液体でシャワーのときに患部に塗るのである。シャワーのたびに、それを塗るとひりひりと痛い。その薬を都市部で買いながら、陸路ブラジルから、アマゾン川を越え、ベネズエラを抜け、ロンドンに着いたころにはどうにか痒みがひいていた。

 2度目は30代に仕事の出張中にかかったが、それは不潔なシーツから移ったとすぐに経験からわかり、疥癬の薬で処置し、ひどくなる前に治ったのだった。
 今回は3回目か?  マルガリータ島で泊まった世界最低の5つ星ホテルのシーツは確かに汚かったのである。

しかしジカ熱の可能性も

 先日の地方新聞では、ジカ熱で3人感染者が死亡したとあった。ジカ熱からほかの病気が併発したのだ。薬が手に入らないので、免疫力の弱い人間、老人や乳幼児は死んでいくほかはない。僕の仕事関係のつきあいでは、二名の女性がジカ熱を発症している。
 心配になり、事情通に電話をして聞いてみた。すると、

「それはジカ熱よ。ジカ熱の人は疥癬にもなるの。私の周囲ではみなそうだから」
「でも熱もないし、頭も痛くない。背中と肩と首が痒いだけなんだ。ただの日焼けかもしれない」
「症状はまったく人それぞれ別なのよ。薬を買ったほうがいい」
「でも、ジカ熱には薬はない」
アセトアミノフェン、肌には、硫黄石鹸、抗アレルギーの薬がある。Talzicかしら。購入するなら手伝ってあげる。薬局で会いましょう」

 ベネズエラ人は日本人よりずっと薬に詳しい。処方箋なしでほとんどどの薬も注文できるからである。ただし、注文できても、薬はほとんど存在しない。

 ネットで調べてみると、当然ジカ熱と疥癬はまったく別の病気だ。

 だがジカ熱で免疫力が落ちて、それに感応した抜け目のないダニが肉体を蝕んでいる可能性は否定できない。そこで、無駄になる可能性が高いと思いながらも薬局に行くことにした。
 
天国と地獄


 とりあえず、朝の強い日差しを浴びながら、20分ほど歩いて薬局まで歩いてみた。
 最近引っ越した家は、安全を考慮したいわゆる城壁都市(たまたま1月前までいたアパートでは先日ガードマンが撃たれて殺された)で、海水浴客が訪れる浜辺にあり、海岸沿いの気持ちのよい遊歩道を歩いていける。目の前には高級住宅地やホテルがある山、右手の浜辺と海ではバレーボールやカヤックやパラシュートボードに興じる若者たちがいる。遠目のグアンタ湾には、数積の世界各地からはるばるやってきた数席の貨物船が、入港を待っている。
 まるで湘南の海を少し高級にしたかのようように見える。

 ところが一歩街中に入ると、醜い現実が待っている(続く)。