闘牛士のように舞い、犯罪者を撃退!



 今回は黒魔術について書くつもりだったが、たまたまぼくのアシスタントが3時間ほど誘拐されたので、またまた犯罪について書く。

 ベネズエラの死因の一位は、交通事故、次が犯罪だといわれている。殺人率はチャベス政権以来うなぎのぼりで、今は40を超え、50に迫る勢いらしい。(日本の自殺率は29前後 10万人あたり)。10年前の2倍以上である。
 コロンビアの治安が劇的に回復した今、南米一危険なのがベネズエラだ。

 ぼくは港町と縁が深い。中南米でも最初に住んだのがメキシコのベラクルス。この北方にはエルナン・コルテスがメキシコに上陸した場所もあり、かつフランスやアメリカとの戦いの舞台ともなった、歴史的な街である。

 だが港なので治安はメキシコ一悪かった。
 
 最初に住んだ下宿のしたでは、何度か撃ち合いがあった。音がするので、したを見ると、拳銃で撃たれた男が、トラックに荷台に乗せられて連れて行かれたり、カーニバルの夜には目の前で、一人の男がナイフで刺され、そして、わけもなく銃撃戦が。
 さらにいっしょに留学していた友人は、夜中に暴行され、翌日目を覚ますと浜辺にいた。

 まあ、ぼくは犯罪慣れしている。

 けれども今回ぼくの仕事場となっている、Puerto Cabelloなる港町はたぶん、ぼくが訪れた場所の中では、1,2を争う治安の悪い場所である。
 ベネズエラの中でももっとも危ない場所なのだから殺人率は100近いのだろうと推測される。

 ぼく自身、ひったりくりと立ち回りをしたことがある。


 真昼間、ぼくは昼食のレストランを探して歩いていた。日差しが激しく頭を打ち付けていた。
 肩には仕事のドキュメントが入った書類を入れたリックサック。コンピュータは関連する会社の机の中に保管してもらっていた。

 汗だくになりながら古ぼけたコロニアル風の路地を歩いていた。
 いっとき、そのとおりに人影がうせた。車も途切れた。
 とつぜん、背後に人の気配、

 「おれはベネズエラのマフィアだ!」

 その掛け声とともに、リックがひったくられた。

 だがこんなとき、ぼくはなぜか極端に冷静だ。

 ほんとうのマフィアがこんなことを言うわけがない。相手は素人。多分、犯罪をするために、自らを鼓舞するために、こんな叫び声をあげたのだろう。

多分、出来心だろう。拳銃もナイフも持ってないに違いない。

 背後を振り返ると、1メートル75センチ前後の20代後半ぐらいの、やや細身の白人の若者が、日差しの中に立ちすくんでいる。そして、きびすをかえそうとした。

 こいつになら、勝てる!

 ぼくは確信した。それに、仕事のドキュメントを失いたくなかった。

 ポケットに手を入れ、すぐに札束を泥棒に向かって見せた。

「そのバックには金ははいってないぜ。てめーには無縁な書類だ。金はこっちだ。取りに来い。そのかわり、バックは返せ!」

 ぼくは札束(といっても20ボリバル数枚=1000円前後)を頭の横に掲げた。

 そして、男の手にしたリックのショルダー部分に手をかけた。

「じゃあ、金をくれ!」
「この糞やろう! まず、リックを持つ手を離せ、そしたら金をやる」

 ぼくは左手でリックをひっぱる。だが男は手を離さない。二人の距離は2メートルもない。

「さあ、来い。金はやるぞ」
 まるで闘牛士だ。

 じりじりとぼくは男を凝視しながら旋回する。
 肩の上ではマント代わりの札束がひらりひらり、
 頭上には焼きつくような太陽

 メキシコ、スペイン、エクアドルで見た闘牛が思い出される。
 
 円形観劇場の真ん中にマタドール
 剣にはしたたる血
 赤い布に突進する巨大な牛
 ひらりとかわす
 観客の大歓声
 オーレ、
 マタドールは牛を挑発する

 「さあ、来い! ここだ」  
 挑発に牛は後ろ足を蹴り、布に向かって突進する。

 ぼくは叫ぶ。
「泥棒やろう、さあ、来い! 金はここだ」
 布のかわりにひらひらする札束
 目の前には、牛の代わりに犯罪者と化した若者

 いつ仕留めてやろうか!

 ぼくは誘いをかける。

「さあ、泥棒やろう。こい! 金を取りに来い」
 こうして誘いをかけながらぐるぐると回る。男もそれに連れて回る。男の目は札束に向けられ、手はリックを握ったままだ。
 二人はリックの引っ張り合いをしながらじりじりと旋回している。

「さあ、こい、金を取れ」
 男は用心して、金に手を伸ばさない。
「金を渡せ、そしたら、離してやる」
「逆だ。リックを離せ、そしたら金をやる」 

 ぼくは男の下腹部にいつ蹴りを入れるか、そのタイミングを推し量っている。いつの間にか、男とぼくの位置は逆になっている。ぼくが道路を背に、男が住居に背を向けている。

 蹴りを入れ、後頭部を壁にたたきつけてやる!

 今だ、と思った瞬間、男が突然リックを離した。そして険しい表情の男の顔に突然の笑顔。

「アミーゴ、アミーゴ、冗談だよ。」

 前方から車が2、3台来たのである。
 つまり男は見られるのがいやで、逃げ出した。背を向け、港の方向へ一目さんにびゅーんと逃げる。
 
 拍子抜けした。

 追いかけるか!

 本来ならば追いかけて、回りの住民といっしょに袋叩きにしたいところだ。
 一度、スペインで詐欺師のジプシーをひっとらえ、警察に突き出したこともある。
 だが、昼飯のあとで仕事がまっている。

 ああー、旅行中ならば袋叩きにしてやるのに。 

 追うのはやめ、そのかわり、彼に対する憎悪を言葉にしてぶつけた。

「このくそやろう、地獄に落ちろ!」
「ぼかやろう! てめーを明日、見つけて殺してやるからな!」
「泥棒やろう、おれはチャベスの友人だ、とんでもない目にあうぞ」
 (ぼくは反チャベスなのですが、チャベス大統領、ごめんなさい、こんなときだけ使って)
 
 車の中からぼくの大声を聞きつけ、運転手たちは窓を開ける。みな怪訝な顔だ。 
 
 牛に逃げられた闘牛士はなにかぶさまだ。
 ベネズエラの闘牛はちょっと違うという。
 観客が優しいのだ。
 勇敢な牛は途中で「殺すな、殺すな」と叫んでハンカチを振るという。
 あるいは、マタドールがぼろい。
 怖くなって、牛から、びゅーんと走って逃げることがある。 

 陽炎の立つ中、若者の背中が遠ざかっていく。その向こうには巨大なコンテナ船、そしてその手前には、建国の父であるシモン・ボリバルの像が建つ。

 あーあ、
 ベネズエラ

 次回は誘拐について書く