風樹茂の帰ってきたGETJapan[原発]

 ブログの「やっぱりラテンだぜ!」というタイトルと内容はそぐわない、誰が書いているのかもわからない、プロフィールもおかしい、などと読者の方に怒られたので、深く反省し、本日、「風樹茂の帰ってきたGETJapan」を再開しました。
 ぼくが「風樹茂のGETJapan」を公開したのは2000年8月1日でした。その当時の日本は、バブル崩壊後、公園や街路にホームレスが溢れ出ていました。
 上野の駅周辺の早朝と夜中は、第二次世界大戦敗北直後の、浮浪者の溢れる上野公園の写真にそっくりでした。
 当時、ぼくは、海外をいったりきたりしていたのでしたが、選択と集中ということで、所属していた会社の部門じたいが消滅し(その後、その会社も吸収合併。怠け者のぼくがいなくなったので、今は優良IT企業となっています)、腰を据えて日本にいる環境となったことから、もっとも矛盾が凝縮されているホームレスについて書くことから作家業を始めました。

 あれから、11年が過ぎ、日本社会はどこが変わったのでしょうか?

 ホームレスの姿は、すっかり目につかなくなりました。亡くなられたり、生活保護をとったり、あるいは漫画喫茶で過ごしたり、一部は社会にも復帰したのでしょう。また公園管理区域となり、テントを張れないこともあるでしょう。
 けれども、予想したとおり、日本の貧困率は16%まで進み、先進国ではもっとも格差の進んだ国のひとつとなりました。
 ところが、そのような貧困とは無関係に金城湯池の中で、のうのうと暮らしていたのが電力、原発マフィアの面々だったのです。
 もちろん、正当な経済活動には正当な報酬があってしかるべきです。けれども、その経済活動が、嘘に塗り込められた、国民への洗脳工作によって推進されていたとしたならば…。しかも洗脳には、われわれの税金や電気代が使われていたとしたならば。
 事故の隠ぺい、過酷な作業の原発労働者、原発の現場で働かない電力会社社員、存在理由のわからない保安院原子力安全委員会
 3.11の福島原発の人災が、すべてを白日のもとにあからさまにしてしまったのです。
 海外からの帰国後、しかも放射線を運搬して帰国したのちに、原発事故が起こったこともあり、何かの因縁を感じ、再びよろよろと立ちあがり、パソコンのキーボートに向かうことにしました。
日本社会の矛盾が凝縮されているのが、今は原発です。
時代を記録し、微力ですが少しでも住みよい社会が作れる一助になることを願ってホームページを再開するとともに、 「愛! フクシマの黙示録」―真実はここにある―をメルマガにて連載します。
 本ブログには、引き続き、タイトルに似合わない、原発放射能や政治を巡る話題を書いていきます。
 「風樹茂の帰ってきたGETJapan」には、詳しいプロフィール、著作、3.11以来の取材写真、関連する原稿などを掲載していきます。
 孤独な闘いになりそうです。